第39期研究会「放送の技術史はいかに記述し得るか NHK放送文化研究所編『放送メディア研究 17:【放送100年】技術の発達と放送メディア』を出発点として」(メディア史研究部会)【開催記録】

■日 時:2024年7月13日(土)15:00~17:10

■場 所:オンライン

■報告者:樋口喜昭(東海大学)、村上聖一(日本放送協会)

■討論者:岡澤康浩(京都大学)

■司 会:寺地美奈子(筑波大学)

■企画趣旨:

 放送史の書物を紐解けばわかるように、放送の歴史はこれまで番組中心の記述が基本であり、放送事業を下支えする技術的側面はあまり取り上げられてこなかった。放送技術はメディア研究の分野ではなく、工学的な分野において主に取り扱われる対象だったのである。社会が放送技術の形成にどのような影響を与えたのか、もしくは放送技術が社会や文化をどのように構築したのかといったメディア研究的な論点が問われることは少なかった。

 しかし近年、技術的側面からメディア文化を再考する流れにおいて、放送メディアとしてのラジオ・テレビの歴史を技術的な観点から捉えようとする動きが出ている。比較的新しい動きであるため、研究方法が確立されているとは言い難いだろう。そのようななか、本年3月にNHK放送文化研究所編『放送メディア研究 17:【放送100年】技術の発達と放送メディア』が刊行された。こちらは、放送開始から100年の節目を目前に控えたいま、改めて放送技術に着目し、どのように放送技術が社会に受容され、定着していったのかをたどるという内容となっている。執筆陣にはメディア史系や工学系などが混在しており、本書は包括的な立場から日本における「放送の技術史」を編む実践であるといえよう。

 放送の技術的側面に焦点を当てるとは、メディア研究にとっていかなる営みなのだろうか。どのような語りが可能であり、何を明らかにできるのだろうか。これまで蓄積されてきた放送史にどう貢献できるのだろうか。本研究会ではまず、本書のラジオパートの執筆者のひとりであり、放送技術者としての職務経験をお持ちの樋口喜昭氏(東海大学)と、全体の編集、さらにテレビパートの執筆を担当された村上聖一氏(日本放送協会)に、執筆の内容やその方法、全体の構成などをめぐる試行錯誤についてご報告いただく。そして討論者に、科学技術史な立場からテレビにアプローチしてきた岡澤康浩氏(京都大学)を迎え、メディア研究者が技術に着目して放送史を語ろうとする実践の特徴や課題、今後の可能性などについて伺う。その上で、本書の意義や「放送の技術史」の今後の展望をめぐって参加者全体で議論をしたい。

【開催記録】

■記録作成者:寺地美奈子

■参加者:32名(Zoom使用)

 本研究会では最初に司会から趣旨やタイムテーブルの説明があり、続いて執筆者の樋口喜昭氏、本書の構成を担当し、執筆者でもある村上聖一氏が報告を行った。これを受け、岡澤康浩氏から論点の提示があった。一度休憩とし、樋口氏、村上氏から岡澤氏へ短い応答を挟んだ後、参加者からの質疑やディスカッションに移った。

 本書のラジオパートを担当した樋口喜昭氏は、まず執筆時のNHK放送文化研究所(以下、文研)との打ち合わせについて報告した。これまでの研究を踏まえラジオ初期(1925~1941)が担当箇所となるなかで、樋口氏には番組技術・中継技術・送信技術といった送り手の技術に注目し、また初期の放送技術者がどのような人たちで、どのように放送を開始させたかを明らかにしたいという意図があった。放送技術者への着目は、その後の議論でも重要な視点として触れられていく。また参考とする史料/資料には、逓信省、日本放送協会、NHKが編纂した放送史のほかに、『調査時報』や『調査月報』をはじめとした専門誌や研究雑誌、さらには技術者の家族の手記があるとし、後年になって実施された技術者が当時を振り返る企画の「語り」から、史料との関係を照らし合わせつつ読むという作業を行ったという。このような意図と史料/資料を踏まえて執筆した本章では、放送技術者の誕生と、制作技術と送信技術の分離が明らかになっている。メディア史が番組や受像機など外からみえるものに偏重しがちななか、放送技術史が技術者による技術史や送信技術などといった外部からみえにくいブラックボックスの中身を明らかにしようとしたときに、技術者としての自身の職務経験が中の視点をピックアップして読み解く糸口になった旨を語っていた。

 続いて村上聖一氏から、本書の編集と構成、得られた知見について報告があった。企画の背景には放送の技術史研究における蓄積の少なさがあったという。文研の研究誌で放送技術に焦点を当てたのは『放送学研究』27号(1975年)以来ということで、およそ50年ぶりの特集となる。また、技術研究の成果は随時発表されているものの、社会とのかかわりに焦点を当てた紹介が必ずしも多くはない点も企画の背景にあった。放送100年の節目に際し、文研ではさまざまな視点から放送100年の歴史を検証することにしており、「技術」は外せない要素であったという。編集の方針としては、放送の歴史を振り返るとともに、近年のメディアの変容を踏まえた構成にすることや、メディア研究者に限らず、実際に技術開発に当たってきた技術者にも執筆してもらうことなどが挙げられていた。技術開発をめぐるいくつかの転換点をおさえ、その時々の番組の状況や、放送をめぐる政策動向、社会の動きを踏まえて考察するという方向性の結果、構成されたのが本書であった。村上氏は残された課題として、まず生存者バイアスの問題を挙げている。普及にいたらなかった技術について論じるのは難しく、この難しさと重要性に関しては後の議論でも同意があった。また放送政策と技術開発との関係についてさらに解明が必要であり、海外との比較の観点も重要だと指摘した。

 樋口氏と村上氏の報告を受け、討論者の岡澤康浩氏は初めに本書の意義について、様々な理由から別個のものとして描かれがちな技術史とメディア史を(再)接合しようとしている点などを評価した。そして、科学技術史と関連する形で、実際の論文に触れながら大きく3つの論点を提示した。一つ目は、インフラストラクチャーとしての放送と「メンテナンス」の問題である。放送インフラのメンテナンスは常にローカルに行われるしかなく、それゆえメンテナンスという論点は、中央による強制や押しつけといった問題を否定することなく、現地にいる必ずしも強大ではないアクターのエージェンシーを描き出すことができる方法論ともなりうるという。二つ目は人とモノの流通、あるいは修理とメディアのエコシステムについてである。ラジオやテレビを人・モノ・概念などを含めた電気通信のエコシステムの中に位置づけることは、ラジオ/テレビ、無線/有線などといった分断を超えた総体を描ける可能性を示すとした。三つ目は視聴者のメディア論、あるいは応用生理学と応用認知科学の可能性である。放送の文化史—放送の技術史という二つの軸に視聴者の科学史を加えた三つの交点として、人間の諸感覚の解明とそうした諸感覚についての知識や仮説を用いて諸感覚と戯れる営みの歴史として、放送文化史―放送技術史が統合される可能性を示唆した。

 岡澤氏の発表に対して樋口氏と村上氏から短い応答を経た後、会場からの質疑とディスカッションに移った。従来と比較した編集や構成の改善点や、ラジオ時代の人材育成など様々な点について質問が出された。ディスカッションでは岡澤氏が提示した論点であるメンテナンスやエコシステムの話が中心となった。メンテナンスを実施する主体は放送局に限らず、住民が担う場合には地域の電気通信のエコシステムという視点が重要となる。それらを探るためには、樋口氏の発表にあったような人に着目する調査方法や史料/資料の探し方が参考となるかもしれない旨が確認された。

 本研究会のタイトルとして掲げた「放送の技術史はいかに記述し得るか」という問いに対し、本書がそもそも技術を取り上げた点や、メディア史を専門とする研究者からNHK文研、技研の職員まで多様な執筆者を揃えた点、技術と社会のかかわりに着目した点に評価や共感がみられた一方で、放送の技術史が技術の登場を節目として記述される技術開発史を超えていく可能性について、記述の方法を検討する研究会となったように思う。本研究会が今後、多様な切り口から放送の技術史が記述される契機となれば幸いである。