第39期研究会「「政治の論理」と「メディアの論理」の交錯―「近代日本メディア議員列伝」から考察する「政治のメディア化」―」(メディア史研究部会/ジャーナリズム研究・教育部会共催)【開催記録】

■日 時:2024年 2月 24日(土曜日) 開始時刻13時~終了時刻17時

■場 所:東京大学本郷キャンパス 東京都文京区本郷7-3-1 東京大学大学院情報学環・学際情報学府

     「情報学環・福武ホール」地下2階 福武ラーニングスタジオ      

■報告者:津田正太郎(慶應義塾大学)

     清水唯一朗(慶應義塾大学)

     片山杜秀(慶應義塾大学)

■討論者:佐藤卓己(京都大学)

     井上義和(帝京大学)

     白戸健一郎(筑波大学)

■司 会:片山慶隆(関西外国語大学)

■企画趣旨:

 価値や理念の実現を目指す「政治の論理」と効果や影響力の最大化を図る「メディアの論理」は、通常対立するものだが、この狭間にいるのがメディア議員である。メディア議員とは、「メディア経験を持つ代議士」あるいは「議席をもったジャーナリスト」のことである。メディア議員には、原敬・加藤高明・犬養毅・石橋湛山・細川護熙といった首相経験者も少なからず存在するが、これまでメディア議員という観点で正面から論じられてこなかった。なぜならば、メディアに権力の監視や体制批判、あるいは不偏不党や中立の役割を求めるのであれば、メディアと政治の境界が曖昧なメディア議員は理念よりも影響力を重視する大衆迎合型と見なされがちだからである。                                                 

 だが、今や政治家は日々SNSで情報を発信し、その多くは理念よりも影響力を重視している印象を受ける。現在の政治家の多くは、メディア議員的な要素を持っているといっていいであろう。もっとも、これは近年突然始まった現象ではない。佐藤卓己・河崎吉紀編『近代日本のメディア議員』(創元社、2018年)によれば、近代日本におけるメディアと政治の関係の変遷は、まさに「政治のメディア化」の過程と捉えることができる。「政治のメディア化」とは、「メディアの論理がメディアの枠を超えて、政治の制度、組織、活動にまで影響力を強めていくプロセス」であり、「政治がメディアへの依存度を高めることで、政治が自立性を失っていくプロセス」のことである。                                               

 このような視点から政治とメディアの関係性を解き明かすことを目的として、佐藤卓己・京都大学大学院教授を代表とする共同研究の成果として2022年から刊行が始まった「近代日本メディア議員列伝」シリーズ(2022年~)についての合評会を、メディア史研究部会とジャーナリズム研究・教育部会の共催で実施する。佐藤卓己『池崎忠孝の明暗』の評者としてメディア化の理論に造詣が深い津田正太郎氏、井上義和『降旗元太郎の理想』の評者として近代日本の政官関係や長野県の政治史に関する業績のある清水唯一朗氏、白戸健一郎『中野正剛の民権』の評者として専門の思想史にとどまらない幅広い観点から近代日本に関する多くの著作で知られる片山杜秀氏にお願いした。 

【開催記録】

■記録作成者:片山慶隆

■参加者:33名

 本研究会では、まず津田正太郎氏、清水唯一朗氏、片山杜秀氏の三名より書評報告があった。それらの報告を受けて、執筆者である佐藤卓己氏、井上義和氏、白戸健一郎氏からリプライがあり、その後、津田氏、清水氏、片山氏から再びコメントをいただき、最後にフロアも含めた全体討論に移るという構成であった。

 最初に、津田氏が佐藤卓己『池崎忠孝の明暗――教養主義者の大衆政治』(創元社、2023年)について、公共圏・大衆・平等・教育というキーワードを用いつつ、メディア議員である池崎の多面性を描いたことを評価した。一方で、「メディアの論理」を影響力の最大化と捉えると「メディアの論理」と「ジャーナリズムの論理」の乖離をうまく捉えられないのではないか、また、「政治の論理」には本書のいう話し合いによる価値や理念の実現という側面だけでなく、友と敵の区別といった攻撃的な側面があるのではないかといった質問を投げかけた。

 次に、清水氏が井上義和『降旗元太郎の理想――名望家政治から大衆政治へ』(創元社、2023年)に対して、史料が乏しく、歴史学ではあまり研究されてこなかった降旗を描く際に、世代論を重視して受けた教育や直面した課題を浮かび上がらせた社会学の手法を評価した。ただし、人々をつなぐ役割を果たすことによって地方政治で活躍した降旗は国民の代表たりえたのか、メディア選挙として知られる1915年の第12回総選挙でなかば引退状態だった降旗が当選した意味をどう考えるのかを疑問点として挙げた。

 最後に、片山氏が白戸健一郎『中野正剛の民権――狂狷政治家の矜持』(創元社、2023年)を、メディアと民権、日本陽明学とアジア主義といった効果的視点を複合的に機能させることで、統一的な把握が困難であった中野の全体像を描くことに成功していると評価した。もっとも、中野の中でアジア主義と帝国主義の相剋はいかに解決されたのか、また、中野は思想に基づいて時流を創造したのか、時流に乗った思想を選択したのかという質問的論点を提起した。

 これらの報告に対して、各執筆者がリプライした。まず佐藤氏は、影響力が機能することをメディアが作用することと捉えているので、ジャーナリズムの論理は意図的に除いたと述べた。また、「メディアの論理」は影響力でのみ分析しているため、友敵関係のような感情の側面は「政治の論理」に含まれると答えた。

 次に、井上氏は応答の中で、降旗が要所で筋を通したり損になることもしたりして有権者や同僚の支持を受けながら30年も政治家を続けたこと、第12回総選挙では東京専門学校一期生として首相の大隈重信とも関係があったため大熊伯講演会の支援を受けたことを指摘した。

 最後に、白戸氏は、中野のアジア主義には日露戦後の盟主意識が存在し、英米の帝国主義からのアジアの解放は主張したものの、朝鮮の自主独立を説いても具体策がなく、台湾の議会設置運動には沈黙したと中野のアジア主義の問題性について補足した。また、中野には一貫した思想があったが、聴衆の反応を見ながら演説の内容を変えるなど時流に乗った面はあると答えた。

 津田氏、清水氏、片山氏から短い再コメントがあった後、フロアも含めた全体討論に移った。フロアからは主に以下のような質問が出た。①戦後の市民政治的な「政治学の論理」ではメディアは従属変数であり、ほとんど言及されてこなかったが、戦前と戦後の「政治の論理」と「メディアの論理」は同じように見ることができるのか。②政治がメディアに依存することをどう考えるか。③「メディアの政治化」についてどう考えるか。

 今回の研究会では、戦前に活躍した人物を取り上げたが、質疑応答では現代も含めた戦後の事例についても議論が広がった。「近代日本メディア議員列伝」の編者でもある佐藤氏は、「政治史とメディア史をリンクさせることで新しい見方を示したい」とこのシリーズのねらいを説明したが、本研究会での議論によって、メディア政治家やメディアと政治の関係性を研究していく上で大変有意義な議論ができた。