■日 時:2022年3月25日(金) 午後2時から4時半まで
■方 法:ZOOMを用いたオンライン研究会
■発表者:平田由紀江(日本女子大学)、森類臣(摂南大学)、山中千恵(京都産業大学)
■討論者:吉野太一郎(朝日新聞社)、阿部康人(駒澤大学)
■司 会:森類臣(摂南大学)
■企画趣旨
2004年の『冬のソナタ』から始まった日本の韓国のドラマブームは、2020年の「『愛の不時着』/第四次韓流ブーム」において再度注目を集めた。近年日本で視聴できる韓国ドラマは、韓流ブーム初期に比べ多様な社会問題を扱うスタイルへと変化しており、「K-drama」と総称されるようになってきてもいる。これは、東アジア的圧縮近代を経験した韓国が、日本同様、グローバル化によって格差、雇用問題、ダイバーシティ等、共通する社会問題を抱えるに至ったからであり、こうした社会問題を積極的にドラマや映画などのエンターテインメントを通して表現していこうとしているからである。
本研究会では、韓国社会が日本と類似する問題や葛藤に直面しつつも、両社会の文脈の差から、いかに異なる解決の糸口を提示しようとしているのか、ドラマにこめられたその想像力のありようを問い、これが日本の視聴者に対して持つ意味について考える。特に、2010年以降現在まで制作され話題となった、グローバル化したドラマ制作形態のなかで生まれたドラマを分析し、韓国ドラマの想像力の在り方、未来やその可能性について議論を深めていきたい。
本研究会は、韓国ドラマ研究会のメンバーが発表を行い、討論者に、朝鮮半島問題に詳しい吉野太一郎さん(朝日新聞社)と、参加型文化について研究している阿部康人さん(駒澤大学)をお迎えする。メディア研究、韓国地域の時事問題に精通する両先生と発表者、そして出席者をまじえ、知見を共有し、ドラマの想像力を論じることの楽しさと意義を考える場としたい。
【開催記録】(報告者:森類臣) ※所属は当時
本研究会は、予定通り3月25日午後2時から行われた。参加者は、発表者・討論者を含めて22名であった。まず、司会の森類臣(本会会員、摂南大学)から研究会の概要と趣旨を説明し、その後に発表とコメントの時間を持った。発表は便宜上、「ドラマとメディア環境」というテーマと「作品分析」というテーマに分けて行った。「ドラマとメディア環境」では、山中千恵会員(京都産業大学)と平田由紀江会員(日本女子大学)が発表した。一方、「作品分析」では、森が発表した。それぞれの発表に、吉野太一郎氏(朝日新聞)と阿部康人会員(駒澤大学)がコメントをした。
まず、山中会員が「韓国ドラマ<原作>としてのマンガ/ウェブトゥーンをめぐって」というタイトルで発表した。
山中会員は、韓国のWebマンガであるウェブトゥーンがドラマ化される現象を、ウェブトゥーンの制作プラットフォームとドラマ制作環境の変化から読み解いた。そこで見えてきたのは、現在進行しているのはマンガ原作ドラマの増加という、原作—翻案関係で説明できるものではなく、むしろ多メディア展開が前提された「ストーリーの開発」であり、またこうした展開を可能にしている企業の連携の拡大であるとした。さらに、ウェブトゥーンやドラマのファンたちは、自らがストーリーとメディアの関係を吟味しながらそれらを渡り歩いているともいえるし、企業によってある方向へと消費を促されているともいえる状態であると説明した。
山中会員の発表に対して、討論者の阿部会員・吉野氏からは「『シンクロ率』という表現の利用、それが宣伝文句となりうる理由とは何か」「『梨泰院クラス』から『六本木クラス』にリメイクされたように、韓国でドラマ化された作品が韓国から直輸入され、「違う作品」として消費される現象についてどう思うか」などという論点が提起された。
次に、平田由紀江会員が「韓国Webドラマの現在」というタイトルで発表した。
平田会員は、韓国において、ウェブトゥーンやウェブ小説などとともに主要なWebコンテンツとなっているウェブドラマについて、その特徴を、韓国におけるメディア環境や制作環境の変化から考察した。ウェブドラマはターゲットが明確に絞られており、広告要素が強く、刺激よりも共感が強調される傾向にあるが、これについては、ウェブドラマのうち学園ドラマを例に挙げ、ストーリー設定がウェブメディアにおける細分化されたオーディエンスのニーズを汲み取ることで、既存のテレビドラマやOTTドラマとの大きな相違点を生み出しているとした。
平田会員の発表に対して、討論者の阿部会員・吉野氏からは、「主要ターゲットはMZ世代とのことだが、スマホやYouTubeなど視聴ツールの普及によって視聴層がMZ世代にボリュームがでたからターゲットとなるドラマが増えたのか、あるいは制作側が仕掛けたことによるものなのか」「1話10分程度というWebドラマのフォーマットは今後韓国ドラマの内容を変えていく可能性があるのか」などという論点が提起された。
最後に、森が「韓国ドラマの「疑似ジャーナリズム」性:試論―『補佐官』『補佐官2』の作品分析を事例に」というタイトルで発表した。「社会派」「リアリズム」と評される韓国の一部のドラマや映画をどのように解釈できるのかというリサーチクエスチョンを立て、事例としてドラマ『補佐官』『補佐官2』の作品分析を通して考察した。森は、「疑似ジャーナリズム[Simulated Journalism]」という独自の枠組みを設定し分析した。森によると、「疑似ジャーナリズム」とは、ジャーナリズムと似ている要素と影響力をもつ概念であり、哲学や法学における「擬制[fiction]」をジャーナリズム論に援用したものであるという。森はドラマ『補佐官』の「主張の核心」を「社会的正義をめぐる議論とその変容」と解釈した。具体的には①韓国社会において、正義を執行する人物像と方途が変化したこと②正義を実行するための不正義を認めること③民主化運動論的な正統性の言説と現実の壁、という3つとした。
森は結論として、①「社会派」「リアリズム」と評される韓国ドラマ・映画は、ただ現実を投影しているだけではなく、ジャーナリズム性を有した「疑似ジャーナリズム」である②したがって、ジャーナリズムが発揮するような影響・問題提起力を帯びる傾向がある③このような「疑似ジャーナリズム性」の発露は、韓国ジャーナリズムの特性との共通性が指摘できる、とした。
森の発表に対して、討論者の阿部会員・吉野氏からは「最近はドキュメンタリーの表現方法が広がっているが、疑似ジャーナリズムとの関係性はどういうように考えればよいか」「ポップカルチャーとジャーナリズムを接続する概念として『疑似ジャーナリズム』を提唱しているのは面白い。メディアのフォーマットが疑似ジャーナリズムにどのような影響を与えるのか」という発言がなされた。
今回の研究会は、韓国ドラマの解釈をメディア論・ジャーナリズム論の視点から探るものであったが、発表に対して討論者から鋭い質問がなされ、議論を活性化させるものとなった。