地方紙からみる中国華北地域における日本の宣伝活動――天津『庸報』(1926〜1944)の関税改定問題報道を中心に
孫暁萌(龍谷大学)
【キーワード】『庸報』、華北地域、宣伝工作、関税改定、中小商人の抵抗運動
【研究の目的】
関東軍に秘密買収された『庸報』(1926〜1944)という新聞を事例にして、中国華北地域における日本の宣伝活動の実態を考察する。どのような政治経済的状況下において如何なる宣伝活動が展開されてきたのかを具体的に跡付ける。本発表では、特に日本の宣伝活動と現地の抵抗言論の関係性を明らかにすることが出来ると考えられる関税改定問題に焦点を絞り、その宣伝活動の特徴を浮き彫りにする。
【先行研究との差異】
これまで中国における日本の宣伝活動は、共産党及び国民党の宣伝に対抗するもの、という前提が自明のもと研究が行われてきた。本研究は、日本側に秘密買収された前後の『庸報』の論調を考察することにより、これまでの政府レベルの宣伝戦という視点とは異なるより多様な視点を提示したい。すなわち、同紙の論調の考察を通じて、日本側が「民心の把握」と称した現地の中小商人及び知識人の態度の把握こそが日本側にとって大きな課題であったことを明らかにする。関東軍による華北分離工作、ならびに日中全面戦争後の占領政策のいずれもが、それらの政策を円滑に推進するために、現地の論調をいかに「民心の安定」の方向に誘導することが重んじられた。
【研究の方法】
『庸報』の原紙及び関連歴史資料に基づき、華北地域における日本の宣伝活動を実証的に考察する。主に同紙の社説と報道を中心に論調分析を行う。加えて、編集者の変動や歴史の変遷とを絡めて分析することにより、そのような論調変化の要因を解明する。
【得られた知見】
1.『庸報』は、都市部の中小商人及び知識人を対象とする民営新聞である。「満州事変」以前、都市部で生活する中小商人が政府当局及び列強の経済的な桎梏から脱出を求め、自発的に組織を作り抗税運動、不平等条約改正運動、国産品購買運動を展開した。なかでも、関税自主権回収運動が盛んに行われ、『庸報』はそれを積極的に報道し、さらに関税不平等による国内工業の不振及び民衆に対する搾取を指摘し、関税新約の成立を称えた。
2.「満州事変」後、関東軍の華北分離工作の一環として超低率関税の冀東密貿易が盛んに行われ、都市部で生活する中小商人の生存の場が脅かされた。それにより、中小商人が対日経済絶交運動を展開した。『庸報』はそのような密貿易を経済侵略と批判し都市部の中小商人の運動を積極的に応援した。さらに、日本に対する国民政府の不抵抗政策に対抗して武力抵抗論を提唱した。このような武力抵抗論は、中小商人の経済活動を守るという意味で提唱された。
3.関東軍は、軍事目的の遂行を妨害する言論を鎮静化させるため『庸報』を秘密買収し、中小商人の抵抗言論を誘導することに力を入れた。買収後の『庸報』は冀東密貿易を取り締まるべきと非難しながら、低率関税が密貿易を防止するための根本的な方法であると主張した。日中による低率関税条約の締結により、輸入品が安くなり民衆生活に役に立ち、日中貿易を活発化させることができると強調した。
4.日中全面戦争開始後、現地軍が同紙を接収した。占領政策の一環として関税改定を行った。関税改定は、生活用品が安く手に入れるため国民負担の軽減とつながり、華北地域の戦争による民衆食糧救済及び経済復興・経済開発にとっていかに有益であるかが強調された。これにより、華北地域の資源や労働力が日本の戦時体制に組み込まれることが正当化された。
戦前放送中国語「支那語講座」のメディア史―実用語学講座から対内広報のメディアへ
温秋穎(京都大学大学院 院生)
【キーワード】ラジオ中国語講座 日本放送協会 「対支文化工作」 漢文訓読法 メディア機能
【研究の目的】
1931年から1941年にかけて日本放送協会で放送された「支那語講座」の内容とメディア機能を史的に考察した上で、取り扱う中国語の種類の取捨選択に伴い、「支那語講座」のメディア機能が実用語学講座から対内広報のメディアへと変化していったことの内在的な動因を探る。メディア機能への注目は、伝統的な学問の「漢文」と実用語学であった「現代中国語」との知の格差に直面して、放送局がいかなる中国語的な知をラジオの音声を通して伝播したかという大衆教育や知の流通の問題にもつながる。
【先行研究との差異】
戦前のラジオ中国語講座を包括的に取り上げた初の学術研究である。いままで放送メディアの語学講座を対象とする研究は、教育方法論や教育史などの側面から捉えることが多かったが、語学の知識を「実用語学」か「教養語学」かで理解するだけでなく、知の形成過程や流通過程に注目する必要があるだろう。本報告は、「支那語講座」で取り上げられた現代中国語に対して分類を行い、それぞれ由来した知識体系に明らかにするほか、書記言語の要素と口頭言語の要素を分けて考察するのが特色である。さらに、中国語教育史研究の観点からも、これまで看過されていたラジオを通した言語の音声に着目する点が新しい。
【研究の方法】
講座自体については、「支那語講座」のラジオ・テキストの内容や番組の放送期間などの史実を明確にしたうえで、放送局の関連する資料を発掘することにより、「支那語講座」が開講された経緯と語学講座全体の布置のなかでの位置づけ、及びその史的変遷を解明する。
全体的には、送り手の立場や受け手の集団的想像力を重視するカルチュラル・スタディーズの研究手法を採用して、「支那語講座」の講師自身の中国語の捉え方や放送局が独自に模索した「対支文化工作」、当時の世間一般の中国語学習法や中国語教材の出版状況などの複層的なメディア環境に注目する。
【得られた知見】
「支那語講座」は大阪放送局による調査で開設の希望が多かったこともあり、1925年に開講された日本放送協会の語学講座の一部として、1931年以降各支局で複数の番組が新設された。第二放送の「教養番組」に組み込まれた新しい「支那語講座」は、ラジオの特性を発揮して中国語学習をめぐって社会教育としての機能が期待されていた。開設初期のテキストには、実用性の高い北京官話の対話体が掲載されており、非敵対的な日中双方の個人レベルでの接触が想定されていただけでなく、中国のナショナリズムを表現した白話文学作品から抜粋した内容も収録する自由な雰囲気があった。
しかし、1931年の満洲事変や1932年の満洲国建国という時流を反映し、「支那語講座」は1932年に「満洲語」に講座名が変更されており、語学学習の番組である以上に強い宣伝性を有するようになった。テキストの内容としては、中国に対する極端な自他認識の構図が打ち出されており、大陸では武力行使を支持し、国際社会では満洲国の正当性を確保するためのスローガン式の自己確認が多かった。
1934年以降、支局から中国語講座の編成の自主権が東京放送局に回収されたことに伴い、中国語講座はやや周辺化された。その再興の契機となったのは、1937年頃に中国語をめぐる言説が語学専門家から世論空間へと拡大したのと同時に、放送局においても独自な「対支文化工作」が検討され、中国語学習の意義が問われるようになったことであった。
「対支文化工作」のなかで大陸への日本語進出を目指す言語方針が国語学者に合意されたにもかかわらず、なお存続していた「支那語講座」は、時文訓読法を採用せず、現代中国語の音声で教えることによって、日中両言語の自他認識が混同しやすい「同文同種」という隘路から抜け出すことができた。しかし、講師の岩村成允による「日支提携は言語より」という提唱の下で、親日の汪精衛政権の公文書を取り上げるとともに、中国現地の観光写真と挿絵も編入され、「支那語講座」は日中友好を国内の聴衆者に納得させるための広報メディアと化した。
以上のように、1941年に「支那語講座」が終了するまでの変遷をたどり、「支那語講座」が大衆教育の教材から宣伝メディア、さらに対中国言語政策の一環としての広報メディアへと拡大したというメディア機能の変化を明らかにした。本報告の最後では、「支那語講座」に起きたメディア機能の転換および中国語の知に対して行った取捨選択をまとめ、それぞれがいかなる日本放送協会の組織特性に由来したのかを確認する。さらに、「支那語講座」を通して見られた言語思想的な遺産が戦後にも受け継がれることと、戦後のNHK「中国語講座」において中国語をめぐる新しい政治性が見られるようになることを本報告の発展として述べる。
放送アーカイブを活用したドキュメンタリー制作の文化研究
丸山友美(福山大学)
【キーワード】テレビドキュメンタリー,『日本の素顔』,ポリフォニー,ジェンダー,プロダクション・スタディーズ
【研究の目的】
本発表は,テレビドキュメンタリー・シリーズ『日本の素顔』(1957-64,以下『素顔』)を分担制作したNHK大阪放送局(以下BK)に注目し,次の3点を明らかにする。第一は,性別の違いは初期テレビ制作の現場においてテレビドキュメンタリーを制作するという方法論の習得にどんな機会の違いを生んだのか,彼ら彼女らのキャリアパスから把握する。第二は,性差に端を発する職業差別は,初期テレビ制作の現場において『素顔』を制作することや番組スタッフのキャリアパスといかに結びついていたのか,マネジメント戦略や部門別の編成といったフォーマルな仕組みや制度との関連からこれを把握する。第三は,2人のBKスタッフが手がけた番組を取り上げ,テクスト分析してその違いや特徴を指摘する。
【先行研究との差異】
これまでの『素顔』をめぐる研究を振り返ると3つに大別することができる。
まずは,テレビドキュメンタリーという戦後に誕生した新しい表現に吉田直哉というテレビ制作者がいかにかかわったのか,吉田のテレビドキュメンタリー論に基づいて,吉田の番組を見直した田原茂行(2000)と崔銀姫(2002,2015)の試みである。2つ目は,田原や崔とは対照的に,吉田のテレビドキュメンタリー論を批判的に読み直し,吉田の言説と制作番組の間に生じている矛盾を指摘した丹羽美之(2001,2002)の試みである。このように従来の『素顔』研究は,吉田のドキュメンタリー論の読み直しと,吉田の手がけた番組の見直しからテレビドキュメンタリーという表現形式の誕生を論じることに主眼を置く。
2010年代以降,放送アーカイブの整備と公開が進んだことにより,それを活用して『素顔』やその後継番組を体系的に見直しがはじまった。これにより,これまであまり言及されてこなかった番組や制作者の存在が確認され,同番組についての研究は新たな段階へ進んでいる。
それが3つ目の流れである。松山秀明(2012)や丁智恵(2013)は,『素顔』が戦後日本をいかに表象したのか,放送アーカイブを使って『素顔』を見直し,同番組が取材対象を一方的に規定する政治性を備える表現形式になっていることを指摘して,丹羽の主張を裏付けている。宮田章は,放送アーカイブを活用して番組全体を視聴・整理し,番組を書き起こし,その特徴を量的に把握して先行メディアとの連続性を指摘する(宮田 2014,2018,2019,2020)。放送アーカイブを活用して『素顔』を見直し,テレビドキュメンタリーという表現形式を再評価するという点で,本研究はこれらメディア研究の文脈に位置づく。本発表は,『素顔』を分担制作したBKという制作集団に注目し,初期テレビドキュメンタリー史にジェンダーの観点を加える。
【研究の方法】
以上の目的を達成するため,本研究では,以下3つの作業テーマを掲げて研究を進める。
第一に,初期テレビ制作現場の労働実態を把握するため,放送博物館で追加調査を実施し,当時の人事資料を収集する。第二に,初期テレビドキュメンタリー史を構成した元放送関係者やその遺族,放送局史編纂担当者などに聞き取り調査を実施する。第三に,番組を書き起こす「書き起こし構成表」を作成し分析する。
【得られた知見】
以上の作業から明らかになるのは,性別によって労働と人間を区分して文化的な空間を編成していこうとする初期テレビ制作の現場の実態である。それは例えば,新卒として入局し,現場に配属される際の職種に表れる。男性は入局すると,番組を制作する放送現業職や番組を編成する放送管理職あるいはカメラマンや編集マンなどの技術職として配備され,すぐ実地のトレーニングがはじまる。彼らは先輩局員の仕事を観察しながら仕事内容を把握し,番組の制作手法から編成の論理,そして機材の扱い方を学んでいく。そうした日常業務を通じて,彼らは「制作現場の知」を経験的に身につける。一方,女性の多くは入局すると,一般事務として配備され,男性局員のアシスタントとして間接的に番組制作に携わる。彼女たちが直接制作に携わるには,制作への熱意や企画力をアピールして認められ,一般事務職から放送現業職などへ職種を変更する必要があった。そのように初期テレビ制作の現場において彼ら彼女らは,「男性=エリート/女性=アシスタント」というアイデンティティを否応なく付与された。
そのように異なるアイデンティティを付与される初期テレビ制作の現場ではあったが,BKの女性プロデューサーと男性プロデューサーの手がけた『素顔』を分析すると,この差異がBKという制作集団で理解・共有されたテレビドキュメンタリーを制作するという「制作の現場の知」を複数化し,その表現形式の可能性を押し広げるオルタナティブな試みを生み出す追い風にもなっていたことが明らかになった。
19世紀フランスのジャーナリスティックな界の資本構造
松村菜摘子(立命館大学大学院 院生)
【キーワード】ジャーナリスト フランス メディア史 ブルデュー 界
【研究の目的】
本研究は、フランスのメディア市場が急拡大した19世後半に、新聞メディアでジャーナリストを始めとする「ニュース」に関わる「職業」がどのような特性(社会階層、学歴、経歴など)を持ち、職業に対する評価や携わる人々の社会的地位がいかに変化したのかを、ピエール・ブルデューの界の理論を用いて明らかにする。
【先行研究との差異】
①フランスのメディア史研究は、18世紀から20世紀にフランスのメディアの変化とその過程で形成された独自の文化性を、技術論、インフラの発達、知識人が職業教育に与えた影響といった多角的な視点から分析を行ってきた。だが、メディア産業の変化が中心に置かれることが多く、ジャーナリストに関しては補助的な分析に留まる。
②ジャーナリズム研究において、フランスのジャーナリストには文学と政治の二つの特性あることが事例研究を通して度々指摘されてきた。本研究では、個別の事例だけでなく統計的視点から、メディア市場の拡大に伴いジャーナリストの社会的評価やどの隣接分野との関係性について検討を行う。
③フランスの職業社会学は、ジャーナリストの組織の活動を分析し、社会的地位の向上や専門職化を研究してきたが、20世紀の活動や教育システムの研究が中心である。本研究は、フランスのジャーナリストが徐々に組織化を始める時期に焦点を当て、徐々に集団化を図り始めたジャーナリストたちの特性を明らかにする。
④ブルデュー学派は、1990年代以降、ジャーナリスティックな界の分析に積極的に取り組んできた。統計的な分析と質的分析を通して、特に戦後のフランスのジャーナリスティックな界が持つ独自の権力構造を分析してきた。本研究による19世紀のジャーナリスティックな界に関する知見は、20世紀のフランスメディアを対象に分析を行ってきたブルデュー学派の研究にも寄与する。
【研究の方法】
新聞の生産を支え、携わっていた職業を、職業辞典や百科事典、出版メディアに関する年鑑資料などを検証し整理・分類する。その上で、当時の著名な人物の経歴や実績を記録した「人名辞典(Dictionnaire biographique)」から上記の新聞メディアの生産に関わる人物のデータを抽出し、それぞれの職業につく人々の特性を分析する。さらに、抽出したデータをもとに多重対応分析(MCA)を行い、各職業とその属性との関係性、職業間の関係性(界内における距離)を明らかにする。
【得られた知見】
ジャーナリストの他に、ピュブリシストも新聞の経営や制作に重要な役割を果たしており、記事やコラムの執筆者として、文筆家(littérateur/écrivain)も一定の役割を果たしていた。また、1820年代の人名辞典には、ジャーナリストを職業とする者がほとんど登場せず、ピュブリシストも20名程度なのに対し、1950年代の人名辞典にはジャーナリストは40名以上、ピュブリシストは70名以上といずれも倍増しており、新聞制作に関わる職業の社会的地位の変化が窺える。加えて、大衆新聞の台頭と共に「小説」が読者の支持を得たことで、小説家も人名辞典に登場する。ジャーナリストや小説家は兼業率が3割を超え、ピュブリシストは5割を超える。18世紀から人名辞典に多く名前が載る文筆家よりも、新聞メディアを中心にする職業の方が兼業率が高い傾向にある。
出版・印刷業に関わる職業は、ジャーナリスト・ピュブリシストとは、異なるグループとして付置され、資本構造の相同性は見られない。またジャーナリストとピュブリシストの関係は、出版や文学などの他の職業と比べれば近接するものの、ピュブリシストが上位の社会階層に近く、法学の学歴の近く位置する一方で、ジャーナリストは社会階層や学歴の面で、大きな特徴が見られなかった。職業間の関係性で見ると、ジャーナリストは、文筆家に近く、文学的要素が強い職業に近い。だが、文筆家は高学歴な学校の近く位置するのに対し、ジャーナリストは、特筆する学歴の要素が見られない。ジャーナリストは、文筆家に対して被支配的な地位にあったことが読み取れる。また、ジャーナリストとピュブリシストの経歴を細かく検証すると、ピュブリシストは貴族出身が比較的多く見られ、政治家との兼業やピュブリシストを経て政治家に転身する例が見られた。一方、ジャーナリストにはそうした例はほとんど見られず、文筆業を目指して上京しジャーナリストとして活動し始める例もまま見られた。「ニュース」としての新聞制作に関わるジャーナリストとピュブリシストは、出版・印刷業とも文筆家とも違う特性を持つ。さらに、先行研究で指摘されてきた文学と政治の二派は、ジャーナリストとピュブリシストという資本構造や経歴が異なる二つの職業として存在していたことが明らかになった。
新型コロナ禍をめぐる政治と科学の境界領域が報道できているのか
司会者:徳山喜雄(立正大学)
問題提起者:市川衛(元NHK制作局)
討論者:小林傳司(大阪大学)
(企画:ジャーナリズム研究・教育部会)
【キーワード】新型コロナウイルス トランス・サイエンス リスクコミュニケーション ジャーナリズム
現代社会を襲った新型コロナウイルスの猛威は、政治と政策、法と制度、医療と科学、社会経済活動と人の命や暮らし、デジタル化と教育、人間の内面とこころなど、さまざまな分野の問題や課題を浮き彫りにした。そして、それらを報じる、あるいは報じないメディアのありようも併せて問われることとなった。
この課題を議論するにあたり、切り口はいくつもあろう。本ワークショップを企画したジャーナリズム研究・教育部会の性格上、問題意識はコロナ禍へのメディアやジャーナリズムのかかわりとしたい。それを踏まえたうえで、「政治、科学、メディア」の3つの分野から考える。しかし、それぞれの分野の固有の問題だけでなく、今回のコロナ禍はたとえば政治と科学が交わる境界領域で何が重視されるのか、一つの分野だけでは答え難い「トランス・サイエンス」※の問題がクローズアップされており、ここに考える手掛かりを置きたい。そして、それらを報じる政治や科学ジャーナリズムの理解や分析力、伝え方といったものに、読者や視聴者、研究者らから物足りなさや不満、疑問が呈されていることに留意したい。
折りしも今年は、千年に一度といわれた東日本大震災の大津波の発生から10年という節目を迎えた。世界を震撼させた東京電力福島第1原発事故による放射能禍と今回のウイルスによるコロナ禍は、「目にみえない恐怖との戦い」「分かれる科学的知見」「振り回される政治や報道」という点でシンクロしているように映る。政治も科学もジャーナリズムも、大震災発生以来この10年間の教訓を活かすことができたのだろうか。冷静な調査や分析が必要であろう。
このような趣旨で、問題提起者として元NHK制作局チーフ・ディレクターの市川衛氏、討論者として大阪大学名誉教授の小林傳司氏が登壇、ワークショップ参加者とともに討論していく。市川氏は東京大学医学部卒業という異色の放送人で医療・健康分野で国内外の取材を担当してきた。新型コロナ関連ではNHKスペシャル「〝パンデミック〟との闘い~感染拡大は封じ込まれるのか~」「〝感染爆発〟をどう防ぐか」などの制作に関わった。小林氏は2005年から20年まで大阪大学教授。日本における科学技術社会論の第一人者であり、著書に『トランス・サイエンスの時代 科学技術と社会をつなぐ』がある。日本学術会議第1部幹事として、政治による同会議への人事介入についても対応、発言してきた。医療分野に明るいコロナ禍報道の経験者と、政策の成立過程にも目配りできる科学分野の研究者による問題提起と討論は、問題の所在と今後を展望する上で重要なものと考える。
本ワークショップは医療・科学と政治・政策との関係、リスクコミュニケーション、ジャーナリズムなどの各研究領域において、不足している、あるいは未開拓な部分へのアプローチとなり、今後の研究、ジャーナリズム活動に活かされればと考える。時間が許せば「コロナ後」の世界についても話し合いたい。
※科学技術が生活のすみずみに根づく現代社会では、真理を追究する科学が政治や社会と切り離されなくなり、互いに越境する領域が大きくなってきた。米国の核物理学者アルビン・ワインバーグが1970年代に、こうした領域を「トランス・サイエンス」と呼び、ここに生じる問題について科学に問うことができるが、科学だけでは解決できないと論じた。
東日本大震災から10年 これまでの災害報道とこれからの災害報道を考える
司会者:片野利彦(日本民間放送連盟)
問題提起者:桶田敦(大妻女子大学)
討論者:佐々木雄祐(岩手めんこいテレビ)
討論者:大牟田智佐子(毎日放送)
(企画:放送研究部会)
【キーワード】 災害報道 東日本大震災 阪神淡路大震災 原発事故
今年3月11日で東日本大震災から10年を迎える。東日本大震災は、巨大地震と巨大津波、そして福島第一原発事故という原子力災害が重なる、未曽有の複合災害である。この複合災害は、テレビ、ラジオ、新聞、ネット、ありとあらゆるメディアによって伝えられ続けてきた。
一方、東日本大震災におけるメディアやジャーナリズム研究も、ローカルな視点からグローバルな報道を対象にしたものまで多岐にわたって行われてきた。これまで災害報道、特に放送においては、1991年雲仙普賢岳火山災害、1995年の阪神・淡路大震災などで数多くの研究がされてきたが、こうした過去の災害時における研究と、東日本大震災における研究の最大の違いは、放送内容がまるごとアーカイブされたことにある。実際に放送された番組を見直すことによって、震災報道がどのように行われたのかを、記憶や印象に頼らずに客観的に記述することが可能になった。その結果、放送メディア、特に被災地の放送局は、「機能が麻痺している自治体機能を代替・補完し、緊急時地域情報センターとして機能した」(藤田ほか、2013) などと評価された。一方で、原発事故における報道姿勢については、「大本営発表」(瀬川、2011) 、「マスメディアが発信した情報が『共有』されるべき価値のある情報ではなかった」(伊藤、2012) などと批判された。
東日本大震災を経験した放送メディアは、大震災から何を学び、どう変わっていこうとしているのだろうか。本ワークショップでは、阪神淡路大震災、東日本大震災という巨大災害を経験した放送メディアが、震災でどのような報道を行ってきたのか、そして、今後、どのような災害報道をおこなうべきなのかを討論者やフロアの参加者と共に議論する。
問題提起は、TBSとテレビユー福島で災害報道を専門記者として様々な事象を経験し、現在は大妻女子大学で災害報道を研究領域としている桶田が行う。桶田はこの間、東日本大震災とその後の10年間における災害報道のメタデータ分析を行っており、その最新の知見をもとに、災害報道の変化と報道する側の議題設定を明らかにする。
こうした問題提起を受けて、東日本大震災当時は東北放送に所属していた佐々木氏に、被災地における震災報道の10年について討論してもらう。佐々木氏は、津波被害で多くの児童を失った石巻市・大川小学校の遺族らの取材を継続的に行っていた。去年からは地元である岩手に戻って、岩手における10周年報道に携わっている。
そして、もう一人の討論者、毎日放送の大牟田氏。大牟田氏は、阪神淡路大震災の取材、その後、MBSラジオ「ネットワーク1.17」のプロデューサーを長く勤め、現在では仕事をこなす傍ら、兵庫県立大学大学院博士課程で震災報道の研究を行っている。その大牟田氏からは、阪神淡路大震災から26年を経て今も続く「ネットワーク1.17」が目指してきたものとその意義について討論してもらう予定だ。
こうした議論を踏まえ、これからの災害報道はどうあるべきかをフロアと共に議論していくことを計画している。また、災害報道という視点から見た「新型コロナウイルス」報道にも言及していきたい。
メディアの社会心理的影響とその倫理的問題:子どもに対する影響を中心に
司会者:渡辺武達(同志社大学)
問題提起者:川端美樹(目白大学)
討論者:山下玲子(東京経済大学)
(企画:メディア倫理法制研究部会)
【キーワード】子ども、メディア、社会心理的影響、倫理的問題
日常生活にメディアが浸透する現代社会においては、メディアによる社会的・心理的影響が懸念されている。問題提起者の川端美樹が翻訳し、2019年末に刊行されたアメリカのメディア心理学者カレン・ディル-シャックルフォードによる著書『フィクションが現実となるとき:日常生活にひそむメディアの影響と心理』(誠信書房刊)では、メディアコンテンツのストーリーへの心理的没入の影響、テレビやゲームなどの暴力的なシーンの影響、社会的な集団に対する偏見やステレオタイプの問題、広告による健康被害や自尊心への影響、政治意識に与える影響など、さまざまなメディアによる社会心理的な影響が幅広く論じられている。さらに、これまでに行われたメディアの影響に関する研究は、特に影響を受けやすい子どもに関するものが多く行われてきた。同著の中でもメディアの暴力が子どもに与える影響や子どもをターゲットとした広告の影響の問題が倫理的な視点から議論されている。
今回のワークショップにおいては、「メディアの社会心理的影響とその倫理的問題:子どもに対する影響を中心に」をテーマとし、アメリカにおける現在のメディア状況とその心理的影響および倫理的な問題について、まず川端が『フィクションが現実となるとき:日常生活にひそむメディアの影響と心理』を基にしながら問題提起を行う。同著の原著者のディル-シャックルフォードは、メディアの影響についてアメリカ議会での専門家証言などを行い、メディアの倫理的な問題について公的に発言しており、同著でもメディアの倫理的な問題に関する記述が多く見られる。アメリカと日本では文化・社会的な背景、メディア状況、法的規制などで異なる部分も多いが、今回はアメリカでの問題を基にしつつ、日本でメディアが子どもに与える影響について比較しながら議論する。
討論者となる山下玲子会員は、2015年に出版された『ホストセリングを知っていますか:日本の子ども向けCMの実態』(春風社刊)』において、番組とCMに共通のキャラクターを用いる「ホストセリング」と呼ばれるCMの実態や保護者の調査などを行い、子ども向けテレビCMや番組についてさまざまな視点から研究を行っている。そこで、川端の問題提起を受け、アメリカや他国の状況と比較しながら、日本における放送番組編成基準、放送と青少年に関わる問題として何が問題視されているのか、日本の子ども向けテレビCMに関する「規制」および実態について、日本の子ども向けテレビCMに対する親の意識、などについて議論していく。また、BPOへの苦情などの分析も取り入れ、日本の子ども向けテレビ全般における「目に見える」問題と「目に見えない」問題についても議論する。メディア環境が急激に変化する現在の日本において、子どもにとって適切なテレビ視聴環境をいかに確保していくのか、子どもと大人の線引きをいかにすべきか、子どもたちにとって、映像視聴環境の主役がもはや地上波テレビでなくなっている現在、テレビを「規制」することで事足りるのか、もし、そうでないのであれば、どのような方策が必要かつ有効なのか、参加者と一緒に考えていく。
本ワークショップでは、以上のように、現在の変容しつつあるメディアと情報環境を踏まえつつ、メディアが子どもに与える社会・心理的な影響とその倫理的問題について、アメリカにおける状況を参考にしながら、日本における現状と今後の改善策などを議論していきたい。
世論調査結果の報道分析の検討と実施 ——環境に対する世論調査結果の報道を事例に——
永井健太郎(明治大学)
【キーワード】世論、環境問題、内容分析、メディア表象
【調査・研究の目的】
民主主義社会において世論を伝えることは、マスメディアの重要な役割の一つである。マスメディアは時に自ら世論調査を行い、その結果を報道し、世論を伝えている。一方で、マスメディアは、ありのままの現実を伝えるわけではない。先行研究が明らかにしてきたように、報道プロセスにおいては様々な要因により、ある出来事のいくつかの側面が選択され、強調される。その結果、メディアが映し出す現実が構築される。世論の報道においても同様である。本研究の目的は、マスメディアが、世論調査結果の報道の中で、どのような世論を作り上げているのかを解明することである。
【調査・研究の方法・対象】
本研究の目的を達成するために、世論調査結果を伝える新聞報道を分析対象とする。日本の新聞は社内に世論調査部を抱え、多様な問題に関する世論調査に積極的に携わっている。対象とする新聞は、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞である全国紙3紙である。本研究は、環境に対する世論調査結果の報道に注目する。環境問題は各紙が共通して取り上げるトピックだからである。各新聞社のデジタルアーカイブを用い、「環境 and 世論」により検索を行い、検索結果から環境意識に関連する調査結果を扱う記事を収集する。期間は1988年から2010年までである。記事数は合計64(朝日20、読売29、毎日15)である。
分析方法のポイントは2つある。ひとつが、選択と強調、もうひとつが世論調査結果への解釈である。まず、マスメディアによる選択と強調によって、人々が認知する世論の輪郭が決まる。このメディアによる選択と強調を明らかにするために、記事の見出しに注目する。見出しは、記事のタイトル、要約であると当時に、読者の目を引くためのものだからである。もうひとつの世論調査結果への解釈は、マスメディアによる意味付けと見なすことができる。世論調査結果はある選択肢が何%選択されたという事実以上の意味はない。しかし、報道においてはその結果の意味を解釈として示さざるを得ない。このふたつにマスメディアが世論を構築する姿勢が現れると考え、分析を行う。
【現時点で得られた知見】
・見出しで選択され強調される世論
抽出した190の見出しを、言及された調査結果に即して分類した結果、14の項目に分類された。そのうち、もっとも強調されたのが「不安・心配・危機」である。次に「行為実践」、「行為意思」、「関心」、「環境税」、「許容」、「社会・生活変革」と続いている。この上位3つは、分析期間の間一貫して強調され続けていた。
・世論調査結果への解釈
抽出した151を分析した結果、日本の新聞は環境意識の調査結果を報道する際に、すべての人々が同じような考えを持っていることを示唆する解釈を行っていることが見て取れる。例えば、「国民全体」や「国民の意識」、「日本人」という表現を用い、統一された世論を世論調査結果から見いだしていた。
これらの結果を総合すると、マスメディアは世論調査結果の報道を通して「環境問題を懸念し、行動する世論」を表象していたことが明らかになった。しかし、行動は家庭内での行動に限定され、政治へのコミットメントが周辺化されていることもわかった。
【今後の課題・展望】
マスメディアが統一された世論形成を行っていたが、これが環境というトピックによるものである可能性が高い。そこで、今後の課題としては、イデオロギーなどが作用する他テーマ、例えば、憲法改正においても検証していくことが求められる。そこで、新聞社間での違いが見られるのであれば、世論調査を用いて、マスメディアが積極的に世論構築に関わっていることが示されるだろう。
インターネット時代における結婚式情報メディアの機能転換―「ゼクシィ.net」に着目して
彭永成(京都大学大学院 院生)
【キーワード】『ゼクシィ』、結婚式情報、「ゼクシィ.net」、結婚イメージ、比較メディア論
【研究の目的】
本研究の目的は、結婚情報誌『ゼクシィ』がインターネット上に展開している関連サービスの内容と沿革を考察することによって、「ゼクシィ」が作り上げた結婚式文化の最新状況を明らかにすることである。また、紙媒体の『ゼクシィ』とウェブサイトの「ゼクシィ.net」に掲載された情報の内容を比較し、異なるメディア上で構築された理想的な結婚イメージの相違についても検討する。
【先行研究との差異】
「研究経緯」で述べたように、これまで日本の結婚情報メディアに関する研究では、主に雑誌媒体の『ゼクシィ』に注目してきたが、インターネットが急速に普及した2000年代以降の『ゼクシィ』の変遷を語る上で極めて重要な要素であるネット上のサービス展開の検討は不十分であった。
米国では、ネット上の結婚情報サービスと紙媒体の結婚情報誌について検討する研究が見られる。Courtney Muir(2009). Bridal Website/Blogs vs Print Magazines. Master of Science in Publishing, Pace University は結婚情報誌と結婚情報ブログの広告を比較した上で、2010年代においても、広告メディアとしての結婚情報誌は支配的な地位にあり、結婚情報ブログとの対立的な図式は未だ成立しないと結論付けた。だが、その後の急激なネット社会の進展を考えると、ブライダル広告に焦点を絞ったこの議論を、そのまま現在の日本社会に当てはまることはできない。結婚式文化に関する比較メディア論的な考察にもまだ十分な余地が残されている。
「ゼクシィ.net」のユーザー分析や、ユーザーの角度からオンラインの結婚情報サービスについての検討も何件ほど見られる。これらの研究は「ゼクシィ.net」のユーザーやサービスの利便性に注目しているが、本体となる雑誌『ゼクシィ』との関連性や、利用者に提供している結婚イメージは十分に考察されたとはいえない。
こうした問題点を乗り越えるために、本発表は「ゼクシィ.net」を含む雑誌『ゼクシィ』がネット上で展開するすべてのサービスを視野に入れ、広告だけでなく、ウェブサイトの情報構成に関する比較も行うことによって、インターネット上に構築された結婚式文化について検討する。
【研究の方法】
本研究はまずインターネットアーカイブ(https://archive.org/)を利用し、「ゼクシィ.net」の沿革や内容構成について整理する。その上に、リクルート社のリリース資料から「ゼクシィ」の関連内容を抽出し、「ゼクシィ.net」を含む多様なネットサービスの展開と歴史変遷を把握する。その上で、ネット上に構築された結婚の理想イメージについて検討する。
また、「ゼクシィ.net」の編集や経営に携わった関係者へのインタビュー調査及び他媒体で掲載された過去のインタビュー記事を合わせて分析し、「ゼクシィ.net」ならではの特徴、「ゼクシィ」の結婚情報サービスにおける位置づけを明らかにする。また、リクルート社が行う「結婚トレンド調査」や厚生労働省の「婚姻に関する統計」を資料とし、『Bridal Industry Newspaper』などの業界紙(誌)に掲載された関連記事にも目配りしながら、社会の結婚事情及びブライダル情報マーケットにおける「ゼクシィ」の位置づけを浮き彫りにする。
【得られた知見】
1、「ゼクシィ.net」を含む「ゼクシィ」のネットサービスの歴史変遷を踏まえた結果、結婚式情報を集中的に掲載する雑誌とは異なり、ネット上では恋愛、見合いから結婚(式)、さらに妊娠、育児までの情報を統合するようになっていることがわかった。
2、「ゼクシィ.net」は、結婚式の準備において雑誌『ゼクシィ』の補助的な役割を果たすものとして位置づけられているが、そうした本来の想定を超えて、長いライフスパンに関する情報を提供することによって、雑誌『ゼクシィ』の読者をより長いスパンでつなぎとめておくことを可能にする。
3、「ゼクシィ.net」に構築された結婚式準備の関係性の構図は、雑誌『ゼクシィ』と同様に、花嫁の意見を大切にしているものである。「ゼクシィ.net」は、『ゼクシィ』の「結婚式を花嫁が決定的な優位性を持つイベントに構築する」をさらに強化する役割を果たしている。
メディア論においてはしばしば、「近未来を予見させる」のが雑誌メディアであり、「いま、ここを重視する」メディアがインターネットであると指摘される。だが上記の知見からは異なった結論が導かれる。つまり、「ゼクシィ」の場合、「いま、ここ(結婚式)を重視する」のが雑誌『ゼクシィ』であり、「近未来(結婚から育児まで)を予見させる」のは「ゼクシィ.net」になるのである。
COVID-19におけるTwitterの議題設定機能の特徴に関する実証分析
谷原吏(慶應義塾大学大学院 院生)
【キーワード】COVID-19、Twitter、議題設定機能
【研究の目的】
本研究の目的は、COVID-19におけるTwitterの議題設定機能の特徴を明らかにすることである。
【先行研究との差異】
議題設定研究は、長らくマスメディアをその研究対象としてきたが、2010年代以降、ソーシャルメディアも研究対象となっている。既存研究は、マスメディアとTwitterの間におけるメディア間の議題設定機能を検証してきた(McGregor & Vargo 2017; Vargo et al. 2014)。これらは、Twitter言論が世論を反映しているという前提に基づいている(Vargo 2011)。しかし、Twitterはサンプル外一般化が難しいことが指摘されており(Salganik 2018)、日本の実証研究でも、インターネット上の意見が必ずしも世論を反映しているとは限らないことが明らかにされている(鳥海2020; 田中・浜屋2019)ことを踏まえれば、この前提には限界がある。一方で、2016年米国大統領選挙においてTwitterが戦略的に活用されたように、Twitter上で発信された情報が人々に影響を与える可能性はある(Morris 2018)。そこで本研究では、Twitterをメディアの一種であると捉え、Twitter上のアジェンダと実際の世論との関係を検証する。具体的には、伝統的なメディアである新聞の議題設定機能と比較することにより、Twitterの議題設定機能の特徴を明らかにする。特に、関連研究(竹下 2008等)に倣い、議題設定機能が及ぶ期間や、人々の政治的志向の別(リベラル/保守)によって議題設定効果が異なるのかどうかに着目する。
【研究の方法】
本研究は、McCombs & Shaw(1972)に倣って、メディアのアジェンダと公衆のアジェンダとの間におけるスピアマン順位相関係数を検証した。本研究で用いるデータは、日本の新聞及びTwitterの内容分析と、オンラインサーベイ調査(n = 903)により取得した。2020年にメディア上で最も多くの情報が発信されたイシューは、COVID-19に関するものであると想定される。そこで、COVID-19に関連する属性レベルのアジェンダに着目した。
第一に、新聞及びTwitterの内容分析により、COVID-19関連のアジェンダ順位表を作成した。内容分析期間は、菅政権が発足した2020年9月16日から、後述のオンライン調査の最終日前日である2020年12月12日までとした。新聞については読売及び朝日のデータベースを用いてキーワード「コロナ」を含む記事のアジェンダを分析した。Twitterについては、Twitter APIを利用してキーワード「コロナ」を含むツイートのログデータを取得し、そのうち1,000RT以上されているものを分析の対象とした。両者での言及頻度に基づいてアジェンダを20に分類した上で、期間別のアジェンダ順位表を作成した。
第二に、オンライン調査を実施した(2020年12月)。内容分析で分類された20の議題について、回答者に関心度を点数化(10段階)してもらうことで、公衆アジェンダの順位表を作成した。順位相関による検証の弱点(他の変数を統制できない)を補うために、Twitterや新聞を閲覧する程度に応じてサンプルをグルーピングし、複数のアジェンダ順位表を作成した。さらに、リベラル/保守でもグループ分けを行いアジェンダ順位表を作成した。
【得られた知見】
新聞が1、2ヶ月の期間においても複数のグループと相関していたのに対し、Twitterアジェンダと公衆アジェンダとの相関は、サーベイ調査前1週間分においてのみ有意であった。Twitter閲覧志向が高いグループとTwitter(1週間)の相関係数は0.554(p < 0.05)であり、Twitter閲覧志向が低いグループの係数(rs = 0.516, p < 0.05)よりも大きかった。これらの結果は、Twitterには議題設定機能が認められるが、その効果が及ぶ期間は新聞のそれよりも短期間であることを示唆している。また、リベラル傾向が高いグループとTwitter(1週間)の相関係数は0.543(p < 0.05)であり、リベラル傾向が低いグループの係数(rs = 0.453, p < 0.05)よりも大きかった。さらに、サーベイ調査の結果から、Twitter上でCOVID-19についてツイート/RTを行った者には有意にリベラル傾向が見出された。従って、Twitter上のアジェンダは特にリベラルな層と共振していることが示唆された。
「安倍政権の」政策と聞くと、賛否は反転するか―― サーベイ実験による“首相キュー”の効果の検証
辻大介(大阪大学大学院)
【キーワード】政治リーダーキュー、政治的先有傾向、認知的不協和、政治的分極化、ヴィネット調査法
【研究の目的】
本研究で取りあげる「キュー」とは、「ある事柄に関する十分な知識を保有せずに、あるいは精緻な情報処理を行わずとも合理的な意志決定や選好形成を可能にする手がかり」(横山 2019:42)のことであり、政治的コミュニケーション研究では、主にメディアキュー、政党キュー、政治リーダーキューの3種の効果が検証対象となってきた。今回の報告では、政治リーダーキューのひとつとして、政策争点を提示する際に「安倍政権」を付すことによって、賛否の態度がどの程度・どのように変化するかを、サーベイ実験によって検討する。
【先行研究との差異】
政党キューの効果については、保守/リベラルに明確に分かれる二大政党制のアメリカを中心に実証研究が進められてきたが、日本では多党制かつ政党間のイデオロギー上の対立が有権者にとって不分明という違いもあって、それらの先行研究の設計および知見をそのまま敷衍することは困難である。Kobayashi & Yokoyama (2018) は、この点をふまえて設計されたサーベイ実験を行ない、顕出性(注目度)の高い政策争点と低い争点の2種類を回答者に提示し、それぞれ「自民党」の賛成/「民主党」の反対という情報(政党キュー)を付加した場合の効果を検証した。その結果、顕出性の高低にかかわらず、単独の政党キューは回答者の政策選好に有意な変化を及ぼさないという知見を得ている。これを継いで企画された Yokoyama & Kobayashi (2019) のサーベイ実験では、ある法案について「安倍首相」が支持しているという情報(首相キュー)を付加した場合の効果が検証され、首相キューが野党支持者の選好を法案に反対する向きに有意に変化させることが明らかにされた。
しかし、これまでの研究では、首相や政党の支持者(もしくは不支持者)の政治的先有傾向・選好に協和的な形でキューが与えられた場合と、不協和な形で与えられた場合で、その効果に相違が生じるかは検討されていない。本研究では、この点に着目する。
【研究の方法】
大手ウェブ調査事業者の登録モニターの男女20~59歳を対象に、次のような短い文章(ヴィネット)を読ませて回答を求めるサーベイ実験を、2021年1月8~12日に実施した。
《日本では放送法の第4条で、テレビ局などに対して「政治的に公平であること」を求めています。この条文については、次のような2つの意見があります。
・民主主義的な言論の自由が損われかねないので廃止するべきという意見
・特定の政治的な立場に偏った報道を防ぐために維持するべきという意見
【a.今の菅政権はとくに見解を明らかにしていませんが、先の安倍政権は、2016年にこの第4条に違反した放送局には法的措置をとる可能性を示唆していました。】
【b.今の菅政権はとくに見解を明らかにしていませんが、先の安倍政権は、2018年に放送規制改革をめぐる議論のなかで、この第4条の廃止を検討していました。】
あなたご自身は、廃止するべきだと思いますか、それとも、維持するべきだと思いますか。》
回答者は処置群Ta(上記の文aを付した設問に回答)、処置群Tb(文bを付した設問に回答)、統制群C(文aも文bも付さない設問に回答)の3群にランダムに割り当てられた。
【得られた知見】
Satisficerスクリーニング設問をパスした計822名の回答を分析した結果、統制群Cでは安倍首相への感情温度と放送法4条廃止に賛成とのあいだに有意な負の相関がみられ(好きなほど廃止に反対)、処置群Taでも同様であった。他方、処置群Tbでは符号が逆転し、正の有意な相関が認められた。このことは、首相の支持者・不支持者が自らの政治的先有傾向・選好から予期される方向に反する形で首相キューが与えられた場合、選好を逆向きに変化させることで認知的不協和を低減させることを示唆している。当日の報告では、より詳細な分析結果を補足し、このことが現在の社会的・政治的状況においてもつ含意について議論したい。
インターネットは選択性の高いメディアか
細貝亮(早稲田大学)
【キーワード】インターネット、選択性、政党支持態度、Isolation Index
【研究の目的】
本研究の目的は、インターネットが選択性の高いメディアであるのか、またどのような意味で選択性が高いと言えるのかについて、インターネット以外のメディアとの比較から実証的に検証することである。インターネットが有する選択性について、日本における実証研究の知見は必ずしも一致していない。本研究では、既存のマスメディアなどとの比較横断分析から、インターネットが持つ選択性を相対的に位置づけることを目指す。
【先行研究との差異】
先行研究との違いは大きく2点ある。第一に、本研究では選択性の程度をメディア横断的に計測する。選択性をめぐる先行研究ではインターネットが分析対象になることが多いが、本研究ではインターネットだけではなくマスメディアを含む複数のメディアを比較横断的に分析することで、より俯瞰的にメディアの選択性にアプローチする。
第二に、本研究では選択的メカニズムの参照点(reference)として政党支持態度に着目する。先行研究では保革イデオロギー態度が参照点と設定されることが多いが、それ以外の政治態度が参照点となりうるかについて十分な知見がない。本研究では選択的メカニズムが有権者の政党支持態度に沿ったかたちで発現するのかを検証する。
【研究の方法】
検証には2013年参議院選挙時に実施されたウェブ世論調査「民主主義と参議院選挙に関する意識調査」データを使用する。本データセットには、選挙期間中に接触したメディアチャネルについての回答が含まれる。チャネルとは回答者が接触する細分化された情報経路のことで、例えばインターネットメディアに属するチャネルとして「ネットのニュース記事」「政党・候補者のツイッター」等、6種類が提示されている。同様に、マスメディアでは「新聞(朝刊)」「テレビニュース」「ワイドショー」等、また選挙キャンペーン特有のチャネルとして「政党・候補者のビラ」「政党・候補者のハガキ」等、メディア横断的に全20種類のチャネルへの接触有無がコーディングされている。
あるチャネルに接触した回答者には続けて、当該チャネルでどの政党の情報に触れたかを複数回答で質問する。つまり回答者が選挙期間中にどの情報チャネルに接触し、どの政党の情報を得たか、チャネル別に政党情報が記録されていることになる。このデータを利用してチャネル別の選択性を測定する。
測定にはIsolation Indexを用いる。Isolation Indexは、主に都市社会学や都市地理学などの分野で、都市におけるマイノリティ集団の偏りや棲み分け(セグリゲーション)の程度を表す指標である。この指標は、近年メディアの情報の偏りを計測する手法としても注目されており、本研究でもこれを参考にチャネル別の選択性(情報の偏り)を測定、数量化する。
本研究において、選択性の程度は「回答者が当該チャネルから得る政党の情報が、自分の支持する政党に偏っている程度」と操作的に定義される。
【得られた知見】
分析の結果、調査回答者は政党支持態度に沿って情報を選択的に得る傾向があるが、その程度はチャネルによって異なることが明らかになった。選択性の程度を示すIsolation Indexは、インターネットに属するチャネルで相対的に大きく、マスメディアに属するチャネルでは小さい。つまり調査回答者は、自身の支持政党に関する情報をインターネットから特に選択的に得ている。一方で、マスメディアからの情報は比較的偏りがない。
インターネットチャネルの中でも選択性には差がある。政党や候補者のSNSや動画配信に関するチャネルの選択性は高く、ニュースサイトは中程度、掲示板サイトは小さい。マスメディアチャネルでも同様に選択性の違いがあり、新聞はテレビよりも若干選択性が高い。また選挙キャンペーンチャネルの選択性は、インターネットとマスメディアの間にある。例えば、ハガキ、街頭演説、マニフェストなどのチャネルは中程度の選択性を有している。
以上のように、政党支持態度に着目したメディア横断的な分析の結果、インターネットが選択性の高いメディアであるという主張には一定の実証的根拠があると言える。一方、チャネル別にみると、その程度には多様性があることも判明した。
戦後日本におけるマス・コミュニケーション研究のはじまり:2020年代から再考する
司会者:難波功士(関西学院大学)
問題提起者:山腰修三(慶應義塾大学)
問題提起者:松永智子(東京経済大学)
(企画:企画委員会)
【キーワード】学説史 マス・コミュニケーション研究 メディア論 大衆社会論 論壇
本ワークショップでは、2021年現在の視点から、戦後日本のマス・コミュニケーション研究のはじまりを再考していく。
この前提には、マス・コミュニケーション学会の名称変更が現実化していることがある。しかし、表面的な名称に増して重要なのは、そうした動きの背景にあるメディアの生態系の変化だ。それは、マスメディアからインターネットやソーシャルメディアへ、あるいはデジタル・シフトといった動きだが、こうした単線的な理解では捉えきれない多様性が含まれている。さらに、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行による「新しい生活様式」と呼応する2020年代初頭の(新しい)メディア状況も念頭におく必要があるだろう。
こうした状況のなかでマス・コミュニケーション学会から新たな枠組に変わろうとしている。そのとき、マス・コミュニケーション研究が「新しかった時代」の知を振り返ることは、それ自体メディア史的あるいはメディア考古学的な視点から重要である。
とはいえ、一回の企画でそのすべてを論じることはできないだろう。そこで、日本でマス・コミュニケーション研究が本格的に立ち上がり始め、マス・コミュニケーションについての議論が「論壇」をにぎわせていた頃を振り返る。特に、当時の代表的な研究者・論壇人に照準し、それぞれから継承すべきものは何かを検討する。そこから、マス・コミュニケーションに代わる「新たなメディアに関する知」に向けてのヒントや示唆を得る機会としたい。こうした趣旨の本ワークショップで取り上げたいのは、日高六郎と加藤秀俊である。
日高六郎はマス・コミュニケーションや大衆社会に関する多くの論文や著書、講座の編集を行ったが、晩年の回顧録(黒川創、2012 『日高六郎・95歳のポルトレ』新宿書房)で語られてるように、思想・社会運動の実践も多岐にわたり、そその人生が学問的業績の形成と密接に関わっている。また、その著作には、いわゆるマス・コミュニケーション研究の範囲を超える内容も含まれている。例えば、コミュニケーション形式の二つの極としてパーソナル・コミュニケーションとマス・コミュニケーションを位置づけたうえで、これらに収まらない「中間的あるいは特殊関心によるコミュニケーション」もあることにも注意を促していた(日高六郎、1955「マス・コミュニケーションの過程」)清水幾太郎編『マス・コミュニケーションの原理』河出書房)。
一方、加藤秀俊は、直近でも『社会学:わたしと世間』(2018、中公新書)が上梓されたが、長年にわたる多数の著作で、制度化された学問を超えるような射程をもった議論を展開してきた。なかでも、マス・コミュニケーション研究の観点からは『見世物からテレビへ』(1965、岩波新書)や『文化とコミュニケイション』(1971、思索社)は、参照・言及されることが多く、メディア論の教科書・リーディングスでも「現代の古典」としてしばしば取り上げられている。また近年では、近世=初期近代のメディアを扱った『メディアの展開』(2015、中央公論新社)は、明治を画期とする(西洋近代を特権史する)歴史区分を再考させる。
こうした日高六郎と加藤秀俊について、それぞれ問題提起者を設定する。
まず、山腰修三会員に、批判的コミュニケーション論や政治社会学の観点から問題提起を行ってもらう。山腰会員は、マスメディアだけではなく、デジタルメディア環境における政治コミュニケーション論を研究しており、マス・コミュニケーションの知を再検討する今回の企画に適した論者である。
また、加藤秀俊に関して、松永智子会員から、メディア史やコミュニケーション史といった視座からお話しいただく。松永会員は上述の『メディアの展開』を中心にした研究会を行った経験もあり、そこでの加藤との対話もふまえて適切な問題提起者である。
以上の二名による問題提起をふまえ、フロアと積極的なディスカションを行っていく。それにより、マス・コミュニケーション研究史から現代の、新たなメディア研究へ、引き出せる(引き継げる)ことを明らかにしたい。
「雑誌」研究の可能性――戦前昭和の地下出版メディアから問う
司会者:佐伯順子(同志社大学)
問題提起者:大尾侑子(桃山学院大学)
討論者:湯原法史(編集者)
討論者:大澤聡(近畿大学)
(企画:メディア文化研究部会)
【キーワード】メディア史、雑誌、編集、教養主義、発禁
メディア文化研究において、近代メディアである「雑誌」はもっとも重要な対象のひとつであり続けてきた。出版文化論、流通研究、「読者共同体」研究、教養主義研究など、あらゆる角度から「雑誌」は論じられ、多くの優れた蓄積をみている。そのため、雑誌研究はいまや頭打ちに思われるかもしれない。
しかし、デジタル技術の急速な発展に伴う電子書籍の普及や読書行為の多様化、さらには閲覧・アクセス困難であった史料のデジタル・アーカイヴ作業が進むなかで、「雑誌研究」をめぐる状況は日々、変化している。たとえば、長らく「低俗」な読みものとして看過されてきた敗戦直後の「カストリ雑誌」も、ようやく2000年代以降、史料として光が当てられるようになった。くわえて、ガリ版刷りの私家版や「ミニ・コミ」雑誌など、「マス」から漏れ出た媒体もまたメディア文化研究にとっては極めて貴重な資料であることは間違いない。デジタル技術の進展は、このようなアクセス困難であった資料の整備と公開を後押ししている。
こうした課題を含め、「雑誌」研究にはどのような可能性と限界が存在するのかを、技術進展を踏まえて検討していきたい。
まずは『粋古堂・伊藤竹酔—昭和前期の軟派出版と古書事業』(金沢文圃閣、2020年)ほか、戦前昭和の発禁メディア(風俗壊乱)にかんする史料の復刻編纂に携わり、これらの媒体のメディア史研究をおこなっている大尾侑子会員(桃山学院大学/メディア文化部会)より、1920年代半ばから1930年代前半に「非公刊/非売品」として会員限定頒布された「軟派出版」を事例に(1)「編集者/書き手」の位置付け、(2)教養主義の文脈を踏まえて問題提起をしてもらう。
以上の問題提起を受けて、出版業界の最前線で「編集者」としてご活躍されてきた湯原法史氏をお招きし、「編集」という知的営為の視点から雑誌研究の可能性について議論したい。また、主著『批評メディア論』(岩波書店、2015年)をはじめ、近現代の言論ネットワークをメディア研究の視点から探求されてきた大澤聡会員をお招きし、論壇研究や同時代の「教養」との関連などを踏まえて討論を行いたい。参加者同士の積極的なディスカッションを通じて、「雑誌」研究の可能性を広く問う場となることを目指す。
書店がつなぐローカルとパブリック――小さな経済とコミュニティの可能性
司会者:成実弘至(京都女子大学)
問題提起者:前野久美子(Book! Book!Sendai 実行委員会)
討論者:加島卓(東海大学)
討論者:村松美賀子(編集者)
(企画:理論研究部会)
【キーワード】書店、書物、ローカル、パブリック、東日本大震災
地域に根ざした書店がつくる公共性について考えることが、このワークショップ-ラウンドテーブルのテーマである。本や雑誌、そしてミニコミ誌、フリーペーパーなどのローカルに根ざした小さな出版物を通して、地域と人とをつないでいく試みが全国で静かに広がっている。その結節点となっているのが、個人で営まれる「まちの本屋さん」である。2000年代に入り、こうした独立系書店が都市、地方にかぎらずローカルな文脈のなかで生まれてきている。
例えば、「Book! Book!Sendai」は、アーケードでの「一箱古本市」の開催、本屋に限らずショップ、カフェ、ギャラリーなどでの本の企画を開催する等、まちの規模にまで発展したイベントである。本が、人とまちの身近な存在であることを企図するこのイベントは、2008年に始まった。このイベントがきっかけとなり、「仙台文庫」をはじめとしたさまざまな市民出版物を生み出してもいる。
小さな書店のネットワークから始まったイベントは、東日本大震災を経験し、そして現在新型コロナウィルスのパンデミック/エピデミックを経験している。しかし、震災後に生じたのは、復興や新たなまちづくりのなかで、「まちの本屋さん」が新しく生まれたことであった。トークショーや読書会といったイベントにとどまらず、情報交換やミーティングなどコミュニケーションのハブの役割を有している。かつて、駄菓子屋が地域のコミュニケーションの場所であったように、書店のカフェ・スペースやコモン・スペース、読書スペースは、人びとにコミュニケーションの時間と場所を提供している。
小さな書店の経営は、大規模店やICTと結びついた流通と比べれば、経済的には非効率的である。しかし、地域というエリアで小さな経済の規模だからこそ、まちの書店は存在ししている。小さな市場だからこそ、コミュニケーションを媒介する書店が成立すると言うことができる。そして、まちの書店には、ローカルで出版された書物や雑誌が置かれている。こうした小さな書物は、震災後のアーカイブそのものとなっている。
マス・コミュニケーションではなく、ミニ・コミュニケーションによって、ローカルとパブリックな関係を繋ぐ試みは、誰にとってパブリックなのか、パブリックな関係を形成するのは誰なのか、といったすぐれてメディアと公共性について考える課題を提供している。この公共性は、理念的に捉えられるのではなく、震災後の文脈のなかで、あるいはコロナ禍の文脈のなかで、つまり固有で具象的なローカルな文脈のなかで捉えられるべきである。
今回のワークショップでは、ローカルとパブリックな関係を繋ぐ役割を担っている「まちの本屋」に焦点をあて、書店がつくる公共性の問題について考えたい。そこで問題提起者に仙台で書店を営み、Book! Book!Sendaiの中心的役割を担ってきた前野久美子氏(book cafe 火星の庭)を招き、書店の役割や可能性について具体的事例をとおして報告していただく。それに対して、メディア研究の立場から、90年代以降の書店論の論考を著している加島卓氏、書店の実践的試みとネットワークをルポルタージュしてきている村松美賀子氏からのコメントをとおして、議論のアジェンダを設定しながら討論へつなげていきたい。
「差別」のメディア的構造?――SNS時代の公共圏――
司会者:河炅珍(広島市立大学)
問題提起者:元橋利恵(大阪大学)
問題提起者:ケイン樹里安(大阪市立大学)
討論者:北村智(東京経済大学)
討論者:田中東子(大妻女子大学)
差別はいかなる時代にも見られるが、現代ではその構造と様相がさらに複雑化している。意図的差別はもちろん、非意図的差別もまた改善すべき問題とされ、さらに、差別する/されるの二分法的区別は有効性を失いつつある。このような中で社会構成員は、差別をめぐる認識のアップデートを求められている。
現代社会で差別の問題が顕在化する場の一つがメディアである。メディア研究の立場からすれば、差別それ自体に目を向けるのと同程度に重要な問題は、メディアがつくり上げる「差別」である。メディアは、いかに差別をアジェンダとして取り上げ、社会問題として定義しているのだろうか。メディアが生み出す言説やイメージ、世論への影響――それが法や制度に反映されるか、あるいは、メディアイベントとして消費されて終わるかは別として――を考慮すれば、現代社会における差別の問題はメディアの問題に他ならないと言っても過言ではないだろう。
この複雑化した差別を論じる際、ソーシャルメディア(SNS)を欠かすことはできない。SNSは今日的現象として根付いているのみならず、従来とも異なる形で差別が社会的現象として現れる/作られる舞台=場となっている。SNSと差別の問題を考える際には、差し当たり、以下の観点が重要であろう。
第一は、伝統的なメディアやジャーナリズムでも期待されてきた「善機能」と言い得る側面である。社会を監視し、是正を求める動きは、差別への反対やそれを許す社会・組織への抵抗として現れ、社会運動の手に長年委ねられていた機能は、SNSでも形を変えて果たされている。
第二は、当事者性の拡散である。伝統的なメディアを介さずに、社会の中でよりダイレクトに差別と向き合うことが、差別を受けた当事者、社会運動に携わる人々、さらには多くの一般ユーザーをも動かす状況は、#MeToo運動に見られるように広がりを見せている。問題改善に向けてSNSを戦略的に利用するケースが増えていることは注目されるが、その際に重要なのは、アクティビストや当事者の問題提起に共感しながら、それらの声をさらに多くの人々に共有させ、より広いネットワークの中に位置づけていく個々人の存在である。つまり、一般ユーザーもまた一定の影響力を持つ「当事者」となることが、SNSの特性のひとつと言えよう。
第三は、「欲望」の消費対象という観点である。これは当事者性の拡散とも関係するが、SNSでは一般ユーザーの動きが複雑な状況を生み出している。差別に関しても、前提となるのは「共通善」と言うよりも「個人的善」であり、「いいね」を欲しいというユーザーの欲望が入り込んでいる側面があることは、SNSが新たな差別を生み出す場となる一つの背景にもなっている。
さらに押さえておくべき点は、メディア産業はもちろん、一般企業もまたSNS上の公共圏に進入し、複雑に重なり合う差別の構造の一端を担っている事実である。単に「バズ」(話題性)を獲得するために利用されることも少なくないが、SNSは、企業にとって社会的活動が行われ、社会構成員が期待する「責任」を果たしていくフラットフォームにもなっている。企業は、社会やメディアにすでに広がっている議論に便乗するだけでなく、自らアジェンダを作り上げ、人々の「欲望」に訴えかける。
以上をふまえて本シンポジウムでは、SNSに現れる「差別」の構造を、多様な担い手の動機と欲望とともに検討する。SNS上の差別反対や社会運動を当事者性だけでなく、情報拡散やユーザー行動をめぐる観点から確認しつつ、社会のエネルギーを動員していく問題とも関連づけて議論する。さらに、企業の公共圏での活動やジャーナリズムの変容にも注目し、「差別」のメディア的現象に光を当ててみたい。