テレビ体験としての第2室戸台風(1961年)
水出幸輝(同志社大学)
【キーワード】メディア史、ラジオ、テレビ、天気予報、台風
【研究の目的】
ラジオからテレビへと基軸メディアが変化することで、人びとが触れる気象情報の形式は大きく変化した。しかしながら、台風の情報を耳で聴くことと、目で見ることにはどのような違いがあるのか。本報告では、戦後もっとも被害が大きかった伊勢湾台風(1959年)と規模に対して被害が少なかったとされる第2室戸台風(1951年)を主な事例として、メディアの変化と人びとの気象災害に対する認識について検討する。
【先行研究との差異】
天気予報、気象情報は放送開始以来、戦時期を除いて存在し続けてきた放送コンテンツの一つである。しかし、日本のメディア研究において体系的な整理はなされていない。災害情報関連の研究蓄積は存在するものの、「被害の軽減に役立つ災害情報のあり方」(廣井脩「災害」『マス・コミュニケーション研究』50、1997年)についての研究が主流である。だが、台風情報などは被害を受けなかった地域の人びとも目にするものだ。また、同じ台風情報であってもラジオのみの時代とテレビが普及した時代では、そのメディア体験が大きく異なるが、こうした差異を考慮した比較メディア史はこれまで試みられてこなかった。
天気予報や台風情報の問題について、歴史的なアプローチを試みてきたのは気象学史の領域である。マス・メディアとのかかわりについては、例えば、気象庁編『気象百年史』(日本気象学会、1975年)に「ラジオ・テレビ天気予報」という項目が存在している。だが、それらは気象関係者から見た事実の記録である。また、研究開発の歴史の中では数値化された気象データの計算によって気象現象を予測する数値予報が重要であり、研究蓄積も手厚いが、こうした難解な学知が社会認識を規定したとは考えにくい。天気予報の内容(数値予報)だけでなく、伝達形式(伝えられ方)の検討という点において、天気予報のメディア論は重要な検討課題として残されたままである。
もっとも、気象庁と社会の関係を問うような研究成果も近年報告されている。若林悠『日本気象行政史の研究』(東京大学出版会、2019年)は、〝気象庁が社会の「評判」を得るために「専門性」をどのように行使しているか〟という問いを設定し、気象行政の歴史を紐解いている。ここでの「評判」とは、気象庁内外の天気予報に対する「評判」であり、「評判」を検討するために天気予報が取り上げられ、予報の精度が重要な要素とされていた。しかしながら、予報の「精度」が天気予報の評価を高めるのだとすれば、人びとはどのようにしてその威力を認識したのだろうか。この点についてはメディア論による検討の余地が残されている。本報告では、台風情報についてメディアの形式に注目し、人びとの認識を検討していく 。
【研究の方法】
主な対象は、戦後もっとも被害が大きかった伊勢湾台風と規模に対して被害が少なかったと言われる第2室戸台風である。世論調査、書籍、同時代の新聞に掲載されたテレビ評・ラジオ評、NHK、民放各局が刊行するテレビ批評誌、『気象』、『天気』、『雲』といった気象学関連の広報誌、機関誌などを幅広く収集し、それぞれの台風報道がどのように行われ、評価されているかを分析した。
【得られた知見】
ラジオが基軸メディアである時代、台風情報は耳で聴くものだった。その後、テレビが普及し、ネットワークを駆使した中継放送が可能になると、人びとは台風を目で見ることができるようになる。そして台風情報において、テレビというメディアが実現した見る体験は小さくない意味を持った。
画期となったのは第2室戸台風の体験である。例えば、評論家の瓜生忠夫はテレビ批評誌の座談会において、第2室戸台風のテレビ体験を「テレビ独自のびっくりするような問題」として挙げている。それは、「カメラが高知、大阪、広島、名古屋、金沢、札幌というふうに全国的に配置されて、台風をすっぽりとつかまえてしまった」ことであり、テレビの即時性、空間把握の可能性を「眼のあたりに見せつけられて、本当にショックを受けた」という(「座談会・テレビ批評の重要性」『YTV Report』1967年8月号)。
瓜生が語った台風をテレビで見る体験は、被害が少なかったことの要因として語られるものでもあった。「警報の手回しがよかったこと」を指摘していた新聞寄稿では、「朝からテレビをつけっ放しにしていた」ことを理由に、「それ〔=警報の手回しの良さ〕は文句なしに認めることができる」と指摘している(『読売新聞』1961.9.21)。災害に対する事前情報(警報)の威力を知らしめたのはテレビだった。だとすれば、テレビ体験が〝予報は有用だ〟という認識を下支えしていたのであり、このことは同時代の世論調査、地震予知と台風予報を比較した記述などからも裏付けられた。
メディアが「責任」を語るとき-新聞社説による福島原発事故に関する責任帰属の一考察
余偉(法政大学大学院 院生)
【キーワード】原発事故 責任帰属 社説
【研究の目的】
危機や問題を乗り越える際には、原因や責任を追及することが慣行的な思考であると考えられる。3.11東日本大震災では、「想定外」の津波によって、福島第一原子力発電所において全電源喪失という危険な事態が発生し、原子炉が冷却不能になり、最終的に爆発が発生して、放射能が広範に拡散した。事故の原因や責任について、「菅首相」「東京電力」「国」「政府」「原子力ムラ」「国民」などの、さまざまな対象に対する責任帰属がメディアを通じて可視化された。
この複数の「責任」は、どのように構築されたのか。本研究は、原発事故報道における「責任」を特定し、それらの正当化過程の分析を試みる。
【先行研究との差異】
まず、福島原発事故をめぐるメディア研究は、事故後に数多く蓄積された。「安全神話」に荷担したジャーナリズムに焦点が当てられ、当時の原発報道の問題点が細かく検討されてきた(伊藤 2012:遠藤 2012;林・鄭2013)。また、当時の報道だけではなく、歴史的観点から、戦後から現在までの核・原子力報道を考察する研究も少なくない(山本 2012;上丸 2012)。原発報道に関するメディア研究は数多くあるが、管見の限り、原発事故に関する責任帰属を中心に行うメディア研究はまだ少ない。それは、規範的に原発事故の責任を論じることが、メディア研究の対象ではないからである。とはいえ、事故そのものの責任ではなく、言説としての「責任」は、メディア研究で分析することができる。メディア上での責任帰属については、社会的構築主義という立場で分析する可能性がある(余 2021)。
【研究の方法】
本研究は、主に『読売新聞』と『朝日新聞』の2紙の社説を中心に、言説分析を通じて福島原発事故に関する責任帰属の構築過程を分析する。3.11以前においては、積極であれ、消極であれ、読売と朝日は同じ原発推進派と位置付けられる。朝日は、2011年7月13日の「提言 『原発ゼロ社会』」の社説特集をもって、脱原発の姿勢を確立した。さらに、自民党や民主党に対する態度については、2紙の間に異なる部分がある。そうした前提を踏まえると、原発事故に対する責任帰属については、2紙の社説は異なる性格を持つと予想される。
便宜上、社説の集計期間は、2011年3月11日から2012年12月16日までの民主党政権期に焦点を当てる。その理由については、原発事故の責任に関する社説は民主党政権期に多く論じられるからである。「『社説』 原発 事故 責任」というキーワードで、読売は92件の社説記事があり、朝日は119件ある。その後から2020年3月11日までの関連社説については、読売が50件あり、朝日が149件ある。
【得られた知見】
全体的に見れば、読売社説はトップダウンの視点から、日本の経済や世界への影響を重視し、原発維持の重要性を主張し、事故後の「責任」を構築する。他方、朝日社説はボトムアップの視点から、原発事故の影響に注目し、多様な主体の「責任」を提起する。具体的な「責任」については、以下のように示されている。
まず、賠償問題について、読売は、「長年原子力政策を推進した政府の責任」で、東電に支援して賠償する案を押した。朝日はこの案を否定し、まず東電やその株主と貸手の金融機関に請求すべきだと論じた。
次に、原発の再稼働問題について、読売は、政府や国が「安全性を確認する責任」を持つべきと強調し、国による再稼働を主張する。この問題に対し、朝日は、国が一義的に責任を担うのではなく、原発が立地する自治体や市民、ひいては「私たちの責任」を提起した。
さらに、原発事故の調査報告書について、読売は当時の菅首相をはじめ、民主党政権による「政治主導」までの与党側の責任を強調した。他方、朝日は、「原子力を推進してきた自民党の責任」について、事故調による検討が不十分だと指摘した。
最後に、放射性物質の影響について、読売による問題提起が少ない一方、朝日は、「食品」「汚染牛」「除染」「周辺住民の生活」などの視点から、「国の責任」を繰り返し提起した。
以上のように、二紙による原発事故に対する責任帰属には、異なる性格を持つことが明らかにした。原発推進派としての読売は、「原発を推進してきた政府の責任」「電力の安定供給を確保する国の責任」を強調し、民主党政権による東電への支援、また原発政策の維持を説得しようとする。他方、脱原発という方向性に舵を切った朝日は、事故による放射能汚染に注目し、「長年原子力を推進してきた自民党政権」から、原発を容認してきた「私たち」までの幅広い主体に、原発政策を反省する責任を帰属させた。
『いわき民報』の東日本大震災報道
矢内真理子(同志社大学 学習支援・教育開発センター)
【キーワード】地域紙、東日本大震災、福島第一原子力発電所事故、いわき民報
【研究の目的】
本研究の目的は、東日本大震災発生時の『いわき民報』が、何を報じ、何を情報源としていたのかを明らかにすることである。
本研究は、筆者が取り組んできた原発事故報道とメディアに関する研究と問題意識が連続している。それは原発事故報道の特殊性である。矢内真理子(2012)「コミュニティ放送の現状と課題―3・11福島第一原発事故を中心に―」(同志社大学大学院社会学研究科修士論文、未刊行)では、コミュニティラジオ局「シーウエーブFMいわき」の原発事故報道を扱い、事故を報じるニュースは東京の新聞社による配信を用いたことを明らかにした。『毎日新聞』福島支局の報道を事例に扱った矢内真理子(2020)「署名記事からみる福島原発事故報道―『毎日新聞』を事例に―」(日本マス・コミュニケーション学会2020年度秋季大会)でも同様の傾向がみられた。原発事故は福島県で起きたにも関わらず、地元では情報が得られない点に原発事故報道の特殊性がある。本研究でもこの点に着目し検証する。
【先行研究との差異】
東日本大震災と原発事故報道を対象とする研究として、遠藤薫(2012)『メディアは大震災・原発事故をどう語ったか』(東京電機大学出版局)や福田充(2012)『大震災とメディア―東日本大震災の教訓』(北樹出版)などが挙げられる。だが、いずれも『いわき民報』は対象外である。山田健太(2013)は『3.11とメディア』(トランスビュー)で、震災発生から1カ月の新聞14紙の1面の比較を行い、『いわき民報』も対象にしているが、言及がほとんどない。このように全国紙やブロック紙、地方紙などを対象とする研究成果の蓄積と比較すると『いわき民報』の紙面を分析した研究は皆無に等しい。こうした研究状況を踏まえると、本研究が震災・原発事故報道に関する研究として震災発生から約3週間の『いわき民報』の全記事を分析対象とする点に先行研究との差異が認められる。
【研究の方法】
まず2011年3月12日から31日に発行された『いわき民報』全記事の目録を作成した。次に『いわき民報』の独自記事か、あるいは配信などで他のメディアの協力を得たのかを把握するため記事の署名の有無を調査した。なお13日(日)、16日(水)から21日(月)、27日(日)は休刊である。面数は、12日は12面、14日は8面、15日は4面、22日は2面、23日から31日は4面であった。
【得られた知見】
第一に、記者のルポやコラムが震災から間もない時期に掲載された点である。「互いに励まし合い頑張ろう」(12日3面)、「記者ルポ」(15日3面)などである。『毎日新聞』の地方版などでも見られなかった傾向である。
第二に地域に住む人や店舗などの個別具体的な情報が掲載された点である。駅前の商業施設などの臨時休業のお知らせ(14日2面)や、25日から始まった「苦しくても震災に負けない! いわき避難所めぐり」では、避難所で友達ができた子どもの話(25日)や、避難所で互いに協力しながら生活する様子が取材協力者の顔と名前とともに紹介されていた。
第三に1面トップの記事の変化である。15日までは地震・津波の深刻な被害を伝える内容だったが、22日以降は、避難所でのDVD鑑賞会で子どもたちが笑顔でテレビに見入る様子を紹介したり(22日)、スパリゾートハワイアンズの全従業員の雇用継続を報じたり(31日)、一貫して前向きな話題を扱った。
第四に「シーウエーブFMいわき」との連携である。14日5面、15日4面に全面を使って「安否・生活情報掲示板」と題し「FMいわき」に寄せられた個人の安否情報、学校の休校情報、医療機関や店舗の営業情報などを掲載した。
第五に、原発事故関連では、三種類の記事が存在していた点である。事故の初報は15日で『読売新聞』の配信を用いていた。読売の署名がない記事は独自記事と推測され、地元体育館での放射線のリスクに関する講演会を報じていた(22日2面)。他にも福島県いわき地方振興局県民部による、空間放射線量の測定記録が30日から掲載された。
本研究の結果、矢内(2012、2020)と同様に、震災・津波報道、生活情報は、他のメディアとの連携もありつつ、独自の取材記事が多数掲載された。一方で原発事故報道においては、特に事故の状況を報じる場合、地元メディアでも、東京のメディアの配信を用いざるを得ないことが明らかとなった。また、全国紙では深刻な被害を報じる記事が大勢を占めたが、『いわき民報』では身近な人との関わりから生まれる感謝やありがたみ、喜びなどが数多く報じられていたことも明らかとなった。
米中シットコムの定義,歴史的背景とラフ・トラックについての考察
吉松孝(九州大学大学院 院生)
【キーワード】シットコム,米中比較,ラフ・トラック
【研究の目的】
米中シットコムの共通性や差異を,シットコムが成立した歴史的背景から考察する。
【先行研究との差異】
茄(2016)は、米中のコメディを比較し、「米国では登場人物の心理面、中国では外見の表示に重きがおかれている」といった差異を指摘した。さらに中国では、米国の形式をモデルにし、シットコムが作られるようになったとしたが、実際の表現にどのような差異が発生するのかは言及していない。賀(2011)は、中国コメディ作品の笑いの仕組みを解析しているが、米国・中国のシットコムの比較を行っていない。张(2019)は、中国シットコムと西洋のシットコムとの傾向を比較し、中国は、悲劇を支持することを美学としており、西洋が喜劇に美的価値を置くこととの相違があるとしている。しかし、笑いの性質やタイミングに関する踏み込んだレベルの分析を行なっていない。石(2020)は、初期の中国シットコムは、主に主人公の家族環境を中心に展開し、家族向け喜劇につながり、大衆文化を中心に密接に発展したとし、イデオロギーの発達と社会の変化を明らかにしてきたとしている。「爱情公寓」は、米国の「Friends」のパターンと生活環境を利用し、笑いのパターンを模倣しているとも指摘している。しかし、この分析でも、笑いの作り方にどのような差異があるのかについては述べていない。
先行研究では、シットコムの歴史的背景と笑いの性質についての関連性の分析,考察を行っていない。その中で,日本人である筆者が研究を行い,シットコムの定義や米中シットコムの背景について分析を行うということは、米国(英語)、中国(中国語)の番組テキストを日本語という他の言語に置き換えることで客観的に比較しやすい状態を作り、中立な立場を維持できるといった利点が挙げられる。
【研究の方法】
調査の対象にした作品は、米国シットコムでは、最も影響力の高い三大ネットワークで、中国シットコムは、中国全土で視聴可能な衛星システムを使用したチャンネルで放送された作品から選出した。6作品とも放送範囲(放送局)、持続性(エピソード数)、受賞歴などから、両国を代表するシットコムだと判断した。それぞれの米中シットコム番組のテキストと笑い声の位置を抽出した。
シットコムの歴史的背景を調べるために,過去のシットコムに関する論文、インターネット主力検索サイト「wikipedia」、「百度百科」、インターネット百科事典「ENCYCLOPÆDIA BRITANNICA」を参照しながら、米国と中国のシットコム主要作品の歴史を図表化した。
ラフ・トラックの性質については,筆者自身がこれまでの研究で提示したA(未熟性とのギャップ)からH(その他)までの8種類に区分した大分類と、シーンの詳細な内容に即した72の小分類を用いた。
【得られた知見】
米中シットコムとも家庭や職場などが舞台にされた作品が主流であるが、中国では、社会の開放に伴い、若者の恋愛などをテーマとした作品も登場するようになった。物語内で登場キャラクター同士が交際に発展したり口ゲンカをしたりするのも、米中に共通した構成である。
配役に関しては、米国シットコムでは異文化が混ざり合ったような設定が見られ,中国シットコムでは,例えば「我爱我家」では、配役は大家族内の血縁関係が基本で、職業の違いなどは設定されているものの多様性は低い。「爱情公寓」では、米国帰りの中国人という設定が二人配置され、日本人の設定の登場人物も出ており、配役も中国国内の枠組みを越えようとしていることが伺える。配役が多様化することで、他国の風土をバカにするというような優越性の認識による笑いが生まれやすい土壌ができる。
中国テレビ番組の特徴として、ドラマやドキュメンタリー作品など事前に収録されて編集する余地のある作品には、画面下部に出演者のセリフ全てに中国語(マンダリン・チャイニーズ)の字幕が付与されている点が挙げられる。字幕付記の習慣は、中国シットコムの作風に、同音異義語や似た音の聞き違いによって面白みを作ることができるという影響を与えた。字幕付記によって、登場人物の発した単語と、文脈上本来発するべき単語の違いを視聴者に即座に気づかせることができる。中国シットコムでは、習慣化された全てのセリフに中国語字幕を下部に付記することのみならず、強調的な効果として用いられるケースも出てきた。テキストで同音異義語や似た音による聞き間違いを発生させ、字幕で指摘し、笑い発生のポイントを作ることが可能になった。
BTS and the ongoing media spectacle of celebrity conscription in South Korea
ヨ・イェジ (Yeo Yezi)(立教大学)
【キーワード】Celebrity, conscription, media spectacle, militarized masculinity. South Korea
【研究の目的】
This research analyzes the media coverage frenzy that regularly ensues over celebrity conduct regarding military service in South Korea.
【先行研究との差異】
The role and significance of male conscription and the military establishment in South Korean society have been explored from the perspective of historical, socio-political, and gender/post-colonial studies (see Croissant 2004; Lee 2009; Moon 2005a). However, there is a considerable lack of research assessing the social meanings behind the highly publicized conduct of male celebrities negotiating the issue of their compulsory military service, which this research parses as media spectacles.
【研究の方法】
This study investigates South Korean military news media discourse by tracing celebrity conscription events between 1990 and 2021 in the print version of the conservative newspaper ChosunIlbo and news programs of the public broadcasting channel KBS.
【得られた知見】
This analysis of South Korean celebrities’ military conscription performance suggests that the universal issue of fair and just sharing of the national security burden is defined, produced, checked, and consumed as militarized entertainment in contemporary South Korea. The images constructed and circulated in the media of the patriotic hero, the cowardice traitor, and the redeemed shirker provide reference points not only for local or current understandings of militarized entertainment, nationalism, masculinity, public opinion formation, and policy decision-making, but also display wider ‘shared cultural codes’ (Hall 1997) that resonate in the media events of Elvis and Prince Harry and the commodification and consumption of their respective military careers. Ultimately, the analysis of the three local cases attempted to provide insight into the media spectacle of military conscription in South Korea, as an example situated in wider civil-military relations discourses tracing militarism across the cultural consciousness of today’s media saturated consumer societies.
1940年代野談移動公演の身体性―朝鮮語空間の再編と戦争システムの中の野談の逆説
朴多情(東京大学大学院 院生)
【キーワード】 野談、身体メディア、植民地近代性、二重言語状況
【研究の目的】
本研究は植民地近代性論に基づき、植民地朝鮮の近代物語ジャンルであった野談を通じて、植民地朝鮮の言語環境とメディア環境が大衆文化の展開とどのような関係であったかを分析する。具体的には1940年代戦争期のシン・ゾンオンとユ・チュガンによる野談移動公演の資料を分析して、1940年代の野談移動公演の様相とそれを可能にした原動力を明らかにし、その意味を朝鮮語空間の中で発生した植民権力と大衆の間での「ずれ」と連関して解釈する。
【先行研究との差異】
野談移動公演に関する従来の研究は、まず、1930年代の新聞資本の支援による商業的な「野談大会」の特徴に対する分析に偏ってきた。このような研究傾向では、1940年代の戦争期の野談移動公演に対する分析の意義を最初から「野談の暗黒期」として限ってしまう。コン・イムスン(2012)、ベ・ソネ(2015)などの研究でも、 戦争プロパガンダを強化する道具として戦争期の野談移動公演を捉えることに止まってしまった。しかし、植民地朝鮮では二重言語状況と複雑な近代メディア環境により、植民権力の意図したプロパガンダとそれを消費する農村の大衆たちの受け入れ方に常に「ずれ」が発生する可能性が内包されていた。本研究では、従来の研究の限界を超えて、1940年代の野談消費を当時の植民地朝鮮の二重言語状況と近代メディア環境との関係から解釈する。つまり、1940年代、植民権力による朝鮮語・ハングル空間の再編の中で、近代メディアのインフラとの接点がほぼなかった植民地朝鮮の地方農村の大衆に、野談移動公演の身体性が近代メディアとしての役割をしていたことを明らかにする。
【研究の方法】
本研究は、1930年代後半から1940年代に渡って野談界の次世代スターとして活発に活動したシン・ゾンオンとユ・チュガンの移動野談公演と関連した各種の新聞雑誌資料をもとに、野談が戦争システムに乗って朝鮮半島の隅々まで浸透して行った経路を追跡する。具体的には、『毎日新報』に載った「野談・漫談部隊」と「毎申教化宣伝車隊」に関する新聞記事を通してシン、ユ両者の 野談移動公演の時・空間的な資料を確保し、それが、当時の近代メディアの配置状態、鉄道・自動車などの交通技術、そして日本の戦争期娯楽政策とどのような関係にあったかを分析する。
【得られた知見】
本研究では、戦時体制とともに進んだ朝鮮語空間の再編、すなわち学校教育における朝鮮語授業の随意科目化と日本語教育の強化、民族新聞の強制廃刊など、強化されるダイグロシアの二重言語状況の中で、野談が戦争システムとどのような関係にあったかを確認した。これを通じて明らかにしたのは、野談が持つ植民地近代性の連続性である。つまり、従来の研究で放棄してきた1940年代の野談を巡った生産と消費のプロセスを確認し、それが持つ意義を解釈するのである。野談は1945年まで戦争のシステムをある意味では利用し、言い換えれば、戦時体制に乗って戦前の巡回野談大会よりも集中的に植民地朝鮮の隅々まで浸透し、特に識字率が低い70%以上の植民地農村の大衆の日常に近代メディアとして機能した。都市に比べてラジオ、新聞、雑誌などの近代メディアの普及が少なかった小さな村まで身体メディアの形で訪れ、娯楽として機能したのである。これが植民権力の意図と合致する部分ももちろんあった。しかし、植民地統治の効率のためそもそも合致できないところを内包していたし、生産者の利害関係と関連してそして大衆が置かれていたメディア環境のため食い違うところも発生していた。具体的に言えば、まず、植民権力は「内鮮一体」のために朝鮮語空間を制限したが、同時にその「内鮮一体」を伝播するために朝鮮語で行われる野談公演を通じて朝鮮の隅々まで朝鮮語空間を許可していた。そして「内鮮一体」の伝播のために派遣された生産者たちも都市では興味本位の有料公演をする可能性を植民権力と継続的に交渉するなど、商業的な活動への実践を試みていた。また、朝鮮語空間という植民権力の統制に「ずれ」が発生する可能性が常に存在する空間でのプロパガンダ的な野談公演をそのまま植民地朝鮮農村の人たちが受け入れたという説明には無理がある。代わりに、農村の大衆たちに野談移動公演部隊の訪問は、それ自体で都市からの新文化、新しい技術の見物の機能をしていた。
メディア史研究と雑誌アーカイブ――公益財団法人大宅壮一文庫を中心に――
司会者:阪本博志(帝京大学)
問題提起者:前島志保(東京大学)
問題提起者:後藤美緒(日本大学)
討論者:山本昭宏(神戸市外国語大学)
(企画:メディア史研究部会)
【キーワード】 メディア史 雑誌アーカイブ データベース
大宅壮一(1900~1970)の蔵書(雑誌約17万冊、図書約3万冊)を基盤に1971年5月17日に財団法人大宅文庫(現・公益財団法人大宅壮一文庫)が設立されて、本年で50年を迎える。80万冊以上の雑誌を所蔵する同文庫は、雑誌に特化したアーカイブとして知られ、その雑誌記事索引検索データベースWeb OYA-bunkoは各地の図書館で活用されている。本ワークショップは、同文庫設立50周年の節目に、雑誌アーカイブを活用したメディア史研究のあり方について多様な角度から検討・討議をおこなうものである。
設立50周年にあわせて、同文庫の沿革やコレクションについて解説するとともに同文庫を活用しておこなった研究事例を紹介した、阪本博志編『大宅壮一文庫解体新書』(仮題、勉誠出版)が刊行予定である。ワークショップでは、同書の執筆者2名による問題提起のあと、討論者との議論を経て、フロアに議論を開いていく。
具体的な進行は、次のとおりである。
まず、司会の阪本会員が、大宅壮一の私的な資料室(「雑草文庫」)であった時代から現在までの同文庫の沿革について、説明・確認をおこなう。
最初の問題提起は、戦間期の婦人雑誌等の研究を専門とする前島志保会員による、「雑誌アーカイブ・大宅壮一文庫――その現在と未来」である。前島報告は、国立国会図書館等他の図書館、「ざっさくプラス」のような他のデータベースの存在も視野に入れた巨視的な視点からなされるものである。そうした視点から、日本出版史のなかで大量に出回った一般向けの雑誌の原誌がまとまったかたちで収集・保存時活用できるように整理されている大宅壮一文庫、ならびにそのデータベースの位置づけを考察する。
続く問題提起は、近現代日本の知識人と大衆の文化を専門とする後藤美緒会員による、「話芸を書き残す――漫才作家秋田実」である。後藤報告は、秋田実(1905~1977)が『アサヒ芸能』1969年1月5日号から6月5日号にかけて22回連載した、「浪花芸人泣き笑い一代」に考察を加えるものである。報告者は、国会図書館等での検索ではヒットしない、この連載の内容を分析し、芸人の口述の記録が書き残されたこの連載の意味づけをおこなう。
これらに対する討論者は、山本昭宏会員である。山本会員は『核エネルギー言説の戦後史1945-1960――「被爆の記憶」と「原子力の夢」』(人文書院、2012年)『核と日本人――ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書、2015年)等の著書で、新聞・雑誌等における知識人の言説から、漫画・映画・テレビ番組といったポピュラー文化を、幅広く渉猟し、研究を展開してきた。山本会員からは、メディア史の広範な資料を博捜し考察を重ねてきた観点から、問題提起者へのコメントをいただく。
以上のように、巨視的な視野からの大宅壮一文庫ならびにそのデータベースの位置の検討、同文庫の所蔵雑誌を実際に活用しておこなわれた個別研究の成果、雑誌以外のメディアも含めて幅広く研究を蓄積してきた観点からのコメントとそれに対する応答をおこなう。そののち、フロアに議論を開いていく。
メディア史をはじめとして多くのメディア研究者は、自身の研究を遂行するにあたり複数の図書館や各種データベースを相互補完的に活用していると考えられる。そうしたなかで雑誌という特定の媒体に特化したアーカイブをどう有効に活用し、豊かな研究成果に結びつけていくのか。本ワークショップでは、創立50周年を迎える大宅壮一文庫を中心にとりあげ、いろいろなバックグラウンドを持った参加者がそれぞれの角度からの活発な意見交換をおこなうことで、雑誌アーカイブの活用等についてのさまざまな観点を相互に認識しあう。こうして得られた知見を、メディア史ひいてはメディア研究の豊かな研究成果の産出につなげ、さらには学部学生も含む若い世代へと継承していきたい。
多メディア時代における人々のメディア選択
司会者:渡邊久哲(上智大学)
問題提起者:内堀諒太(NHK放送文化研究所)
討論者:小寺敦之(東洋英和女学院大学)
(企画:ネットワーク社会研究部会)
【キーワード】
テレビ、インターネット動画、YouTube、SNS、スマートフォン
NHK放送文化研究所世論調査部では、現在の多様化したメディア環境における人々のメディア利用行動・意識を捉え、その推移を時系列で把握すべく、これまで継続してきた放送意向調査「日本人とテレビ」にかわり「全国メディア意識世論調査」を2020年11月に実施した。
前身の「日本人とテレビ」調査は、テレビに関する人々の行動や意識を定期的に測定し、その変化を時系列で把握することを目的に、1985年から5年ごとに実施されてきた。同調査では人々の中でのテレビの圧倒的な位置づけとインターネットの台頭を捉えてきたが、新調査「全国メディア意識世論調査」では、その台頭するインターネットの内容を細分化し、YouTubeをはじめとする動画、LINE・Twitter・InstagramなどのSNS、その他インターネットサイトやアプリが日頃どの程度使われていて、どういう意識で皆が接しているかを把握することを目的とする設計とした。
今回のワークショップでは上記の新調査の結果を報告するとともに、その結果を踏まえながら、大きく分けて以下の2点について、ディスカッションする時間を持ちたい。
【主なテーマ】
1. 人々の今のメディア選択はどうなっているのか。
2. 人々におけるテレビと動画の立ち位置は今後どう変化していくのだろうか。
1. 人々の今のメディア選択はどうなっているのか。
「全国メディア意識世論調査・2020」では、娯楽としてのメディア利用におけるきっかけについても調査している。
娯楽としてテレビ番組やインターネット動画を見る際、「自分の使い慣れている機器で見られるもので十分」という人は全体の83%(とても+まあ あてはまる)、「いつも決まったジャンルやテーマを見る」人は68%、「話題となっているテレビ番組やインターネット動画は見たい」人は63%、「いつも決まったテレビ局やインターネット動画サービスを見る」人は54%という結果であった。
人々のどういった趣味・趣向・意識がサービスやコンテンツの選択に影響しているのか。また、その選択時に、ジャンルやテーマのような好みの影響がしているのか、それとも持っているデバイス(テレビ、スマートフォン、タブレット端末、パソコン等)による制約が影響しているのかなどについても、調査結果より今後、深掘りの分析を行いたい。
ワークショップでは、これらの調査結果を報告した後、実際の人々のメディア行動や意識のパターンについてどう分類していくことが現状把握として適切かなどについてディスカッションしたい。
2. 人々におけるテレビと動画の立ち位置は今後どう変化していくのだろうか。
同調査では、「テレビ」と「スマートフォンなど(携帯電話、タブレット端末、パソコンを含む)」を同時に使用するときのことを思い浮かべた際、どちらに意識を向けていることが多いかという調査もしている。この問のうち、テレビおよびスマートフォンなどを持っている人に限定した結果では、「どちらかといえば、テレビ」と答えた人は24%、「どちらも同じくらい」は11%、「どちらかといえば、スマートフォンなど」は45%であった(一部の回答は割愛)。なお、20代では、この「どちらかといえば、スマートフォンなど」は70%、30代では68%と高い水準であった。
このようにテレビをつけながらも手元のスマートフォンに意識を向ける人々が一定数いる現状は容易に想像できるが、今後、スマートフォンでもタブレット端末でも、そしてテレビモニターでも、インターネット接続による動画視聴がより一層当たり前の行為になってくると、動画を見ながらスマートフォンに意識を向けるようになる等、動画のテレビ化が進むかもしれない。このように動画の台頭により、多メディア時代における人々の意識の変化がどのように起こるのだろうか。参加者の仮説を聞きながら、ディスカッションしたい。
番組製作会社から見る放送産業の変容に関する研究:ミクロレベルからのアプローチ
司会者:四方由美(宮崎公立大学)
問題提起者:小室広佐子(東京国際大学)
(企画:四方由美会員)
【キーワード】
放送産業、番組製作会社、当事者意識、職業規範
本ワークショップの報告は、研究グループGCN(ジェンダーとコミュニケーションネットワーク・ジャパン 代表:林香里、四方由美)のメンバーを中心に構成される調査チームが「番組製作会社に見る放送産業の変容に関する研究」として番組製作会社に所属するテレビ制作者を対象に行ったインタビュー調査をもとにしている。
現在、インターネットTVや動画配信サービスが登場し、放送業界は大きな変革期にある。今や「放送文化」の担い手は、いわゆる「放送局」だけではない。従来から番組制作の担い手であった放送局は、認定放送持株会社化を進めつつ、実際のコンテンツ製作の番組製作会社への外注化を進めてきた。今もなお局の影響力は強いとはいえ、通信と放送の融合を見据えた組織改編の中、コンテンツ制作における番組製作会社の実態も変容している。この傾向は、東京キー局だけでなく、関西準キー局やローカル局にも拡大している。
こうした状況を実証的に把握し、日本の放送産業の制度変容が、いかなる空間でどのような論理によって起こっているのか具体的に知ることを目的とした本調査は、番組製作会社の現況をマクロ-メゾ(中間)-ミクロの3つのレベルで体系的・実証的に把握するべく、エスノグラフィー的深層インタビュー方式により番組製作に携わる人物にインタビューを実施したものである。現状では 放送界は 1)「テレビ」をめぐる従来の制度的正当性(institutional legitimacy)の突き崩し、2)他業界(とくに通信業)との暗黙の知識(tacit knowledge)の共有 3)市場原理主導の通信業界への規範的イソモル フィズム (normative isomorphism)的接近が見られ、とりわけこうした変容は、実質的コンテンツ製作の担い手で、通信業とも接点の多い番組製作会社の層で現れることが予想されるからである。従って、この状況をマクロ、メゾ、ミクロのレベルに切り分けて考察すべきだが、本調査ではマクロ状況に配慮しつつも、とくにメゾ(中間)、ミクロレベルに重点を置き調査を行っている。
2019年には、テレビ制作現場の現状を読み解くことに主眼を置き(ミクロレベル)、番組製作会社は、ATP(全日本テレビ番組制作者連盟)に加盟しない大小様々な規模の会社が相当数存在するうえ、各社多様な業務・形態があり、複雑な下請け構造を孕むなど、全体像の把握が困難であるだけでなく、番組製作にかかわる制作者たちの就業動機、職業意識、会社規模、役職や地位、職種、年齢によって状況が非常に多様であることを確認した。2020年以降は、放送産業全体を視野に入れ、その変容をとらえるために現場に近い専門家や業界幹部、監督省庁へのアプローチ(メゾレベル)を行い、構造的アプローチによる主観的理解を主にした知見を補う形で研究を進めている。
本ワークショップでは、本調査の実施者の一人である小室広佐子氏が主としてミクロレベルのアプローチからの報告をもとに問題提起を行い、フロアの会員とともに議論を行うこととしたい。番組製作会社については、これまで体系的な研究はほとんどされていない。本ワークショップは、放送業界での地位、役割分業、制度上の位置付け、業務内容(社会的実践)、働く人々の意識(行動者意識)、労働とキャリアなど、本調査により得られた知見に基づき、放送の商業化、コンテンツの大衆化、倫理規範の揺らぎ、通信と放送の融合化など、新たな視点から討論する機会とし、学会に寄与したい。
(「番組製作会社から見る放送産業の変容に関する研究」は、放送文化基金から研究調査助成を受けている。)
「分断」の時代のメディア研究
司会者:山口仁(日本大学)
問題提起者:富永京子(立命館大学)
問題提起者:鈴木彩加(大阪大学)
討論者:藤本龍児(帝京大学)
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大は世界的な問題となった。この人類にとっての一大事件はまた、ここ十数年、にわかに主張・指摘されるようになってきた「社会の『分断』」をより浮き彫りにしたように思える。
ここで「社会の『分断』」といった場合、例えば米国大統領選挙やBLM運動をめぐる対立といった事例だけにとどらない。コロナ禍や大統領選挙の「不正」問題をめぐって主張・展開される「陰謀論」をはじめとして、価値観の対立はもとより、何が事実(ファクト)であるのかも人々の間で了解不能になっている状況を想定することができる。いままでは、同一の情報を不特定多数の人々に伝達し、共有させることで、社会の統合をもたらすとされてきたマス・コミュニケーションとその主たる担い手であるマス・メディアもまたその存在が「可視化」され、論評・批評・批判の対象となり、その信頼性の低下が多々指摘されるようになってきている。現代の情報環境においては、マス・メディアやそのジャーナリズム活動に対する異論は急速に可視化されてきた。
日本社会は諸外国とは様相を異にするかもしれないが、例えば「格差(社会)」は日本社会を語るキーワードになって久しい。かつて言われた「一億総中流」という言葉はもはや時代を反映していないことは明白であろう。
このように現代社会を論じる際、「分断」は一見重要なキーワードであるかのように思える。しかしこの言葉を用いて社会を論じることに対しては、いくつかの批判的な論点があるだろう。①そもそも社会は実態として「分断」しているのだろうか(実態に関する論点)。②そもそも「分断」は問題なのか(是非に関する論点)、③社会の「分断」をもたらしているものは何か(原因に関する論点)。④社会が「分断」していると認識されること、そうした認識が広まることの意味である(認識とコミュニケーションに関する論点)。①から③が重要な論点であることは前提としたうえで、当学会が注目すべきものは④(認識とコミュニケーションに関する論点)ではないか。すなわち、バズワードとして「分断」という認識が広まっているという現状について、その認識の妥当性も含め、批判的に議論する必要があるのではないだろうか。
こうした問題を考えるため、現代社会における社会運動を含む様々な異議申し立て活動を研究されている富永京子氏、女性の社会運動内の断層について研究されている鈴木彩加氏による問題提起を行う。それを受けて、社会哲学・宗教社会学を専門とする藤本龍児氏に、分断社会と言われるアメリカ社会の状況に関する考察も含めながら、メディア研究とは若干異なる視点からコメントしていただく。そのうえで、フロアの参加者も含め多様な視点から議論を展開していきたい。