2023年秋季大会要旨集

要旨の本文は、個人・共同研究発表者、ワークショップ・テーマ企画者、ポスターセッション発表者からいただいた原文をそのまま掲載しています。(2023年9月28日)(企画委員会)

11月4日(土)

午前の部 10:00-12:15

個人・共同研究発表1

個人・共同研究発表2

個人・共同研究発表3

午後の部 13:10-15:25

個人・共同研究発表4

個人・共同研究発表5

個人・共同研究発表6


10:00-12:15 個人・共同研究発表1

W杯とWBCの比較調査-大学生の注目度とメディア利用傾向について

吉松孝(九州共立大学)

【キーワード】WBC、W杯、視聴、ネットメディア、TV

報告要旨

(1) 研究の目的

本報告の目的は、日本では最も多く視聴される二大スポーツ大会サッカーW杯と野球WBCが、①:どの程度、どの方法で大学生に視聴されているかとスポーツへの関心を測り、②:大学生の利用メディアの現状を把握することを目的とする。日本の大学生の2022年のサッカーW杯2023年の野球(WBC)の注目度を比較することで、大学生の間で野球とサッカーの人気の違いや傾向を把握し、スポーツ人気のトレンドを理解する上で役立ち、ビジネスやマーケティング戦略の立案やターゲットの設定に役立つ情報となる。また、大学生のスポーツ視聴傾向を理解することは、教育機関やスポーツ団体においてもスポーツプログラムやイベントの企画立案に役立つ。

(2) 先行研究との差異

関連する主だった研究として、以下の研究が挙げられる。須藤(2005)がメディアとスポーツの関連性について、メディアの経営戦略や、メディアによるスポーツの独占的な囲い込み、スポーツビジネスの成功という視点から分析し、永田(2014)が、日本でのスポーツ関連産業を、安定した利益創出の仕組み作り、顧客関係管理、企業と顧客とのリレーションシップの密度という視点から分析し、岡部他(2015)は、日本人のスポーツに対する関心の高さや日本のスポーツイベントの開催能力の高さについて述べたうえで、日本人のスポーツと健康との関係性や、健康寿命を伸ばすための課題について考察している。これらの先行研究では、スポーツイベントとテレビメディアとの関わりや歴史などについて述べているものの、大学生(若者層)における視聴の程度や、サッカーと野球との人気の比率や差異について述べていない。そのため、大学生や近い世代をターゲッティングし分析を進めた場合、広告業界などが、どのメディアを使用してプロモーションを行うかの参考にする余地が生まれる。

(3) 研究の方法

a) A大学の5科目の講義、各授業(1年生―4年生)に対する記名式の調査用紙記入による調査を行った。有効回答数は312枚(N=312)であった(リサーチペーパーによる調査時期は2023年4月-5月)。b) 質問項目は、2023年の野球(WBC)、2022年のサッカーワールドカップの各試合(野球7試合、サッカー4試合)について、a「全部見た」、b「少し見た」、c「見ていない」という3択の選択肢を用意 し、「全部見た」「少し見た」と答えた回答者には、「テレビ放送で見た」「インターネット放送で見た」「その他」という3択の選択肢を用意した。c) 計量調査を実施するため、「全部見た」を2点、「少し見た」を1点、「見ていない」を0点というポイントを設定(研究のプロセスでは、「全部見た」と「見た」を合わせてWatch(=W)、「見ていない」をNo Watch(=NW)と表記する)し、「テレビ放送で見た」「インターネット放送で見た」は、各1点とした。c) ポイントを集計し、A大学の調査対象内での「(少しでも)視聴した人の割合」(Rate of people who Watched at least a little:研究のプロセスではRWと表記)を測った。

(4) 得られた知見

調査から得られた主な知見は以下の2点である。

①:注目度について

A大学で実施した調査に於いては、W杯もWBCも「初戦」に高い注目を示し、ポイントが一旦、下降している。W杯は、その後、ポイントは再上昇するものの、初戦には及ばない。野球は、5戦目(準々決勝)以降、再上昇し、WBC決勝戦は、サッカーW杯、野球WBC、全試合において、最高値を示している。サッカーW杯と野球WBCの平均値では、サッカーが有意差を持って、野球を上回った。サッカーW杯の方が野球WBCよりも人気を得ていたと言えよう。サッカーワールドカップの視聴ポイントと、野球WBCの視聴ポイントでは、相関係数=0.3459と、弱い正の相関関係が見られた。サ

②:利用メディアについて

各大会を「視聴した」学生が、それぞれの種目を、テレビかインターネット、どちらで視聴したかについて、W杯では、インターネット放送が30%以上のシェアを占めた。WBCのインターネット放送が12%だったのに対し、W杯のインターネット放送のシェアが有意差を付けて高かった。両大会ともテレビが圧倒的に高い割合を占めたが、一方で、W杯とWBCを比較した場合、W杯のインターネットにおける視聴が有意差をつけて高いことが示された。


倍速視聴の規定因――タイパ意識と余暇時間の関係を中心に

真鍋公希(中京大学)

【キーワード】:倍速視聴、スキップ再生、タイムパフォーマンス

報告要旨

【先行研究との差異】

 株式会社クロスサーチが行った調査によると、2021年時点において、全体で34.4%、20歳代に限定すると49.1%の者が動画コンテンツを倍速で視聴した経験があるとされる(クロスリサーチ 2021)。ウェブモニターに対する調査のためサンプリングバイアスが生じている可能性があること、また習慣的に倍速視聴しているとみなせる回答は20歳代でも36.8%にとどまることには注意が必要だが、倍速視聴が若年層を中心に一定程度の広がりをもっていることはたしかといえる。一方、この調査では倍速視聴と類似の行動として位置づけられることの多いスキップ再生については調査項目から外れている。

 倍速視聴とスキップ再生は、これまで、タイムパフォーマンス(時間当たりの効果や満足度を高めようとすること。以下、タイパ)を追求しようとする意識の表れた典型的な行動として理解されてきた。たとえば、稲田豊史(2022)は、ソーシャルメディア上での動画コンテンツの増加や定額制動画配信サービスの普及によって、視聴可能な作品数が膨大になったというメディア環境の変化を指摘しつつ、周囲の話題についていくために効率よくコンテンツのあらすじや結末を理解しようとして、倍速視聴やスキップ再生が行われていると指摘している(稲田2022: 20-79)。この指摘は示唆的だが、インタビューに基づく定性的な分析のために、個人の余暇時間や経済状況、その他の人口統計学的な変数の影響を統制できていない。はたして、これらを統制したあとでも、タイパを追求しようとする意識と倍速視聴・スキップ再生のあいだに関連は認められるのであろうか。本研究ではこの問いを計量的に検証する。

【研究の方法】

 先行研究では倍速視聴を行っている者は若年層が中心と指摘されていることから、対象者の年齢を20~30歳代に限定したウェブ調査を実施した。代表性のあるサンプルを確保できないウェブ調査では、各変数の度数分布と母集団の分布の一致を想定することはできないが、多変量解析の結果はかなり類似することが報告されている(轟 2014)。そこで、本研究では倍速視聴とタイパを追求しようとする意識や余暇時間等との関連性を構造方程式モデリングによって検証した。

 今回は動画コンテンツ全般ではなく、ドラマや映画といった映像作品に対する倍速視聴に限定するため、スクリーニング調査においてドラマ・映画を「よく視聴する」「ときどき視聴する」と回答した者のみを本調査の対象とした。サンプルサイズは1000ケースで、5歳刻み年齢と性別を掛け合わせた8セルに均等割り付けしている。スクリーニング調査の回答と本調査の回答に矛盾がみられるケースを不適切回答とみなし、最終的に788ケースを分析した。なお、倍速視聴およびスキップ再生の頻度については「よく倍速視聴する」「ときどき倍速視聴する」「あまり倍速視聴しない」「まったく倍速視聴しない」の4件法で、タイパを追求しようとする意識についてはリッカート尺度5件法による9項目の質問で測定している。

【得られた知見】

 タイパを追求しようとする意識に関する9項目の回答が一つの潜在因子から生じたものと仮定し、その潜在因子とその他の統制変数を独立変数に、倍速視聴とスキップ再生を従属変数に設定、さらに各統制変数から潜在因子へのパスを加えたモデルで分析を行った。このモデルのCFIは0.963、TLIは0.987、RMSEAは0.031である。

1)倍速視聴・スキップ再生に対する潜在因子(タイパ意識)の係数はそれぞれ0.305と0.252であり、検定結果はともに5%水準で有意となった。したがって、余暇時間やその他の変数の影響を統制しても、タイパ意識は倍速視聴やスキップ再生に対して影響力をもつと考えられる。

2)倍速視聴に対する余暇時間の係数の信頼区間は [-0.0119, -0.0001] であり、検定結果は有意ではあるものの、その影響はかなり小さい。また、タイパ意識に対する余暇時間の係数は統計的に有意ではない。したがって、個人の余暇時間は、タイパ意識に対しても倍速視聴の頻度に対してもほとんど影響をもたないと考えられる。


コロナワクチンをめぐる意思決定におけるメディア・社会環境・社会関係の影響関係

―「テレビ」は「家族」や「社会の空気」を介して影響したのか―

内田 康人(目白大学)

【キーワード】コロナワクチン、意思決定、テレビ、ソーシャルメディア

報告要旨

(1)研究の目的

 本報告の目的は、コロナワクチンをめぐる意思決定におけるメディアの影響について、社会的要因との関わりも含め、明らかにすることである。ワクチンに対する認識・評価や接種の意向・行動に際して、いかなるメディアや社会的要因がどのように影響したのか、探っていく。その際、メディアとしてはマスメディアとネットメディア、社会的要因としては身近な社会関係と社会環境を取り扱い、それら相互の関わり合いにも注目する。

(2)先行研究との差異

 ワクチン接種への影響として、デモグラフィック要因や心理的要因、既往症・持病等とともに、メディア、特にソーシャルメディアの影響を取り上げる研究が多く見られる(U. L. Osuagwu ら 2023,Sahar S. Othman ら 2022他)。国内でも、福長(2021)、橋元・堀川(2023)、D. Hori ら(2023)等による研究成果がある。

 しかし、メディアの影響が他の要因と独立して切り出されがちで、他の社会的な要因との関わりはさほど検討されていない。また、結果は相互に矛盾が見られ、統一的な理解が得られていない。理由としては、国・地域による社会・文化的要因、実施時期による社会状況の差異や変化、調査・分析の視点や手法の違い、そしてメディアの種類、特にソーシャルメディアやSNSといった用語が混同されがちな傾向等が考えられる。結果として、ソーシャルメディアの影響についても、明確な結果が得られていない。

 それを受けて、本研究では、①ソーシャルメディア概念の整理、②社会的な要因とメディアの影響との関わりを意識、③メディアの影響を明確するために年代別の差異に注目、という対応をしており、その3点で先行研究と異なる特徴を有している。

(3)研究の方法

 まず、大学生を対象とした定性的・定量的な事前調査(インタビュー、自記式自由記述,Webアンケート)を、2021年10月~2022年2月にかけて行い、得られた問題意識をもとに、より広い年齢層を対象とするインタビューを2022年7月以降進めてきた。上記調査からの問題意識や仮説をふまえ、2023年6月に調査会社モニター・20歳以上男女を対象とした定量調査を実施し、2,066人から回答を得た。

(4)得られた知見

 全体集計の結果から、ワクチンに関しては、テレビ、社会の空気、家族の3つから影響を受けた人が多く、2/3以上の回答者が中程度以上の影響を受けていた。この3つについて、「高接種者」(ほぼ全ての機会で接種)と「非接種者」を比較し順位差検定を行った結果、高接種者の方が有意に大きな影響を受けていた。さらに、高接種と非接種を目的変数とする二項ロジスティック回帰分析の結果、上記3つにくわえ、所属先の方針・指示と新聞に、接種へのポジティブな影響が見られた。逆にネガティブなものとして、動画共有サイト(YouTube・TikTok等)、ブログ、友人・知人、直接的な会話・口コミの影響が確認された。

 続いて、接種回数(4区分)を目的変数とする順序ロジスティック回帰分析を行い、年代別の違いを探った結果、影響の程度や方向性が年代によって大きく異なり、必ずしも年齢に伴って直線的に変化しない項目も多く見られた。テレビの接種へのポジティブな影響は50代と60代が中心で、30代と70代への影響は確認されなかった。また、動画サービスのネガティブな影響は全世代で広く見られ、30代で顕著である一方で50代では影響が見られなった。ブログは40代以上でネガティブ、30代以下でややポジティブと影響の方向が分かれる結果となった。身近な社会関係は、50代以上でネガティブな影響が増加する傾向が見られた。

 さらに、ワクチン接種に関して、テレビは直接的な影響だけでなく、社会的な要因(社会環境、社会関係)を介して間接的にも影響するのではないかという問題意識から、以下の2つの仮説を設定した。仮説1「テレビは、直接的な影響とともに、社会の空気や家族を通じて間接的に二段階で影響する」。仮説2「(年齢が高いほどテレビの影響が大きい傾向から)年齢が低いほど社会の空気や家族の間接的な影響が大きく、年齢が高いほどテレビの直接的な影響が大きい」。媒介分析による検証の結果、仮説1は、テレビのワクチン接種への影響において、社会の空気と家族の媒介効果が一定程度確認された。「社会の空気」の方がテレビの影響をより大きく媒介しており、また年代によって、その影響の出方が大きく異なっていた。仮説2については、上記の結果を受けて、ワクチン接種へのテレビの直接効果と、社会の空気や家族を介した間接効果との関係は、年齢によって直線的には変化しておらず、仮説に反する結果となった。

 今回のデータ分析の結果を受けて、今後はその理由や背景を探っていく必要がある。


韓国ウェブ漫画の満足度が国イメージと訪問意図に及ぼす影響

―日本人利用者を対象として―

權永慶(北海道大学大学院 院生)

【キーワード】韓流、デジタルコンテンツ、ウェブ漫画、訪問意図、利用者研究

(1) 研究の目的

ウェブ漫画はデジタルデバイスの大衆化により、日韓両国で多くの人々に消費されるコンテンツとなった。このような背景から、日韓のウェブ漫画市場は2013年から現在に至るまで成長を成し遂げている(Kocca, 2022)。その中で注目されているのが、韓国発のウェブ漫画である。韓国コンテンツ振興院(2023)によると、韓国のウェブ漫画は第4次韓流を代表するコンテンツの一つとして位置づけられ、OSMU(One Source Multi Use)戦略に基づき、ドラマやアニメ、映画などの原作コンテンツとしても注目を集めている。

現在、韓国のウェブ漫画は、ピッコマ、LINE漫画、COMICOなど日本の漫画アプリケーションを通じて日本人利用者に配信されている。また、近年、韓国のウェブ漫画会社は、日本で人気を得た作品を選別したうえ、KADOKAWAや東映アニメなど日本のコンテンツ製作会社との共同開発を通じ、作品のアニメ化を進めている。このように、韓国のウェブ漫画は、コンテンツ自体が持つ楽しみはもちろん、他コンテンツとのコラボレーションやOSMU化を通じ、日本人利用者に韓国の魅力をアピールしている(日本経済新聞, 2023)。

したがって本研究では、日本人利用者による韓国ウェブ漫画の利用動機が満足度に如何なる影響を与え、結果として満足度による韓国の国のイメージと韓国訪問意図との間に有効な相関関係があるかを明らかにすることを目的とする。

(2) 先行研究と差異

これまで韓流コンテンツに関する研究は、ドラマやKPOP、食べ物、ファッションが主な研究対象となっている。これらの韓流コンテンツが利用者の満足度と行動意図に与える影響を測る実証的研究は多数行われている(Kim, 2012;Kim and Park, 2016;Lee et al., 2016)。Kim(2012)は、韓流コンテンツに対する日本人利用者の態度と韓国の国イメージ、訪問意図との相関関係を分析し、それぞれの要因が有意な影響を及ぼすことを明らかにした。Kim and Park(2016)は、フランスとイギリス利用者の韓流コンテンツ経験が満足度と忠誠度の相関関係に有意な影響を与えると検証した。また、Lee et al. (2016)は、中国人利用者の韓流コンテンツの満足度が韓国の国イメージと訪問意図に有意な影響を与えると判明した。

一方で、ウェブ漫画に関する先行研究は、主に視覚的や文学的要素に注目して、キャラクター、ストーリーテリング、ジャンル的特性、ナラティブなどを分析した定性的研究が行われた(Choi & Chon, 2014)。それゆえ、利用者の行動に影響を与える要因を定量的に分析した研究は限られた状況である。しかし、現状としてウェブ漫画への利用者の関心や市場規模は拡大している。そのため、利用者の行動に影響を与える要因を定量的に理解する研究の必要性が高まっている。特に、日本人利用者を対象とした他の韓流コンテンツの利用と満足に関する研究は多数存在しているが、ウェブ漫画を利用対象とする研究はその数が少ないため、研究を行う必要があると考えられる。

(3) 研究の方法

本研究では、Katz(1959)の利用と満足アプローチを用いて実証的分析を行う。具体的には、従属変数として韓国ウェブ漫画の利用動機の6つの因子(情報追及、現実逃避及び緊張解消、楽しみ、利便性、相互作用性、ジャンル的特性)を取り上げ、独立変数として利用満足、国イメージ、訪問意図の3つの因子を組み合わせた9つの因子の間の相関関係を明らかにする。調査対象は、ウェブサイトやアプリケーションを通じて韓国のウェブ漫画を利用した経験のある日本人利用者とし、約300人に対してアンケート調査を行う予定である。アンケートの測定項目は5段階リッカート尺度を使い構成する。また、分析ツールとして、SmartPLSを用いて部分最小二乗構造方程式モデリングを行い、提案した仮説とモデルを検証する。

(4) 現時点で得られた知見

 上述した先行研究(e.g., Kim, 2012;Kim and Park, 2016;Lee et al., 2016)から、韓国のウェブ漫画は韓流を通じ全世界に紹介されてきたコンテンツであることが明らかになった。それによって、ウェブ漫画を利用する外国人利用者の満足度を把握することは重要な課題となっている。しかし、外国人利用者を対象にしたウェブ漫画の満足度や行動意図を定量的に把握する研究は未だにその数が少ない状態である。それゆえ、本研究は、日本人利用者を対象として行う韓国ウェブ漫画の満足度に関する実証的研究の一環として大変重要な示唆を与えると考えられる。


10:00-11:40 個人・共同研究発表2

越境する東アジアにおける女性ファンの文化実践

–「国産アイドル」・「非国産アイドル」の中国人女性ファンを例として–

魏 珂楠(関西学院大学大学院院生)

【キーワード】ファンダム・ナショナリズム、ファンカルチャー、女性エンパワメント、東アジアの文化交渉

(1) 研究の目的:

本研究では、1995年以降生まれ、高学歴、高いメディア・リテラシーを持つ中間層家族出身の女性ファンを研究対象とし、ファン文化や女性ファンに対する家父長制的なまなざしと、「中国人」アイデンティティを強調する愛国的ナショナリズム言説との二重の抑圧構造の下で、国産アイドル・非国産アイドルの女性ファンがオンライン空間で主流言説を受容しながら、抵抗するという文化実践を考察することである。これにより、ファン文化におけるジェンダー意識の変化や愛国的ナショナリズム言説との相互作用を探求する。また、東アジアの文化的背景や政治的要因が女性ファンの行動と意識に与える影響を理解し、これらの現象が社会にもたらす多義的な意味を解明し、そして東アジアの文化や社会の複雑な相互関係を把握することを目的とする。

(2) 先行研究との差異:

従来のファンダム研究は、ファンの行動や意識を主に西洋のポピュラー文化に焦点を当て解明してきたが、本研究では東アジアにおける女性ファンの文化実践を具体的に取り上げることにより、東アジアの社会的背景や政治的要因とファンダムの相互関係を分析する。特に、中国社会におけるトランスメディアの発展とファンダムの特徴が、女性ファンの社会的・政治的な活動への参加にどのような影響を及ぼすかについての検討を行う。

本研究は、現代の東アジアの情勢、とりわけ中国社会の文脈に即し、高学歴で高いメディア・リテラシーを持つ1995年以降生まれの中間層家族出身の女性ファンにフォーカスし、デジタル・ネイティブ世代に特化した文化実践とジェンダー意識の変化について新たな視座を提供するものである。

(3) 研究の方法:

中国女性ファンの文化実践とそのせめぎ合いを明らかにするために、調査方法としては、半構造化インタビューとネット上のファンコミュニティの参与観察を用いる。具体的に、コミュニティの内部構造と日常運営、ファンの応援活動や愛国活動、自らのジェンダー意識などをめぐり、15名の国産アイドルの女性ファンと、K-popを代表とする非国産アイドルの女性ファンを対象に実施した半構造化インタビュー (調査期間: 2022年12月-2023年6月、スノーボール・サンプリング)と、Weibo(中国版 Twitter)をはじめとするネット上のファンコミュニティに対する参与観察(調査期間:2020 年 4 月-2023年6月)を行った。

(4) 得られた知見:

1、近年中国ファンダムの新たな変化について考察する。具体的には、中国共産主義青年団を代表とする主流言説が若者を抱き込もうとする手段として、ファンダムとの親密な関係を構築するようになったことで、ファン文化が政治化する傾向が現れ、ファンダム・ナショナリズムが誕生していることを明らかにした。一方、近年オンライン空間で10代から30代の若い女性が主力となって展開されているネットフェミニズムの言説運動により、フェミニズム思想とファンカルチャーの交差が活発に行われていることがわかった。このような変化は、ファンダムという文化現象が政治的・社会的な文脈と相互に影響し合うことを示している。

2、現時点での女性ファン内部の分裂と連帯について検討する。具体的には、2020年以来新型コロナウィルス感染症による経済不況、人口減少、男女間の対立の深化などの社会環境下、政府側がエンターテインメント業界とファンを対象として、アイドルやスターなどを熱狂的に応援する「推し活」を規制する「2021年清朗インターネット浄化運動」を実施した。このような「危機」に直面した際、女性ファン内部にはどのような分裂が生じ、またどのような原則が守られるのかを考察する。その結果として、以下のような様々なファンの姿が浮かび上がってきた。

  • 正義感を持つ女性ファン-「愛国無罪」
  • 大きな物語から離脱した女性ファン-「アイドル好きなんですけど、So what」
  • 愛国を利用・妥協するファンコミュニティ管理層-「お互いにとって、win-win」
  • 嫌韓感情の高揚と「辱華」問題-「K-pop好きだけど、韓国嫌い」
  • 揺れた日中関係の中で-「SNS上で沈黙する政治離れのJ-popファン」
  • Sisterhoodの強化-「辱華言論は状況によるけど、辱女は絶対に許されない」

これらの分析を通じて、現代中国社会における女性ファンのあり方や文化実践の多様性、特に主流言説や社会情勢が彼女らのファン活動や考え方にどのような影響を与えているかが明らかとなった。また、これにより、中国の若年層女性のジェンダー意識や社会的な関心事に対する新たな視点が提供され、グローバルな視野の下、東アジアにおけるファンダムと社会的文脈の複雑な相互作用を考察することが可能となる。


台湾における日本ドラマの視聴実態

藤田真文(法政大学)

【キーワード】:テレビドラマ、オーディエンス調査、台湾

報告要旨

(1)研究の目的

 2000年前後から台湾では哈日(ハーリー)族と呼ばれる熱狂的な日本文化ファン層が形成され、現在まで続いている。一方で、韓国や中国でのテレビドラマ制作が質量ともに伸長している中で、日本制作のテレビドラマ(以下「日本ドラマ」と記す)は台湾でどのように視聴されているのか、放送・配信事業者へのヒアリング調査、視聴者へのグループ・インタビュー調査、Webアンケート調査などを通じて明らかにしていく。

(2)先行研究との差異

 これまでも台湾における日本ドラマの視聴については、視聴者インタビュー調査(李衣雲,2006)やインターネット掲示板の分析(張瑋容,2019)などから明らかにされてきた。ただし、日本ドラマの放送・配信事業関係者へのヒアリング調査や比較的大規模なサンプルで行われた視聴者調査はまださほど多くはない。本報告は、その点を補うものである。

(3)研究の方法

 報告者は、2021〜22年に下記の調査を実施した。①日本ドラマの放送・配信事業者3社へのヒアリング調査、②日本ドラマ視聴者15名(女性=12名、男性=3名)へのグループ・インタビュー調査、③「テレビ視聴と海外ドラマに関する」Webアンケート調査(15歳〜69歳の男女640名)。うち③Webアンケート調査では、韓国・中国・アメリカ・台湾ドラマと日本ドラマの比較をたずねた。

(4)得られた知見

 ①放送・配信事業者へのヒアリング調査

 ⅰ.現在は日本の放送局と直接購入契約をしている。これは、日本での放送からほぼリアルタイム(例えば翌日)の放送・配信が常態となり購入の迅速さが求められているほか、翻訳・番宣などのコミュニケーションを円滑にするためである。ⅱ.番組購入担当者は、人気のある俳優、実績のある脚本家・制作者など日本の放送・芸能事情に精通している。シーズンごとに放送局のリリースなどをリサーチし、番組単位で購入契約を行う場合が多い。ⅲ.台湾で現在最も人気があるのは韓国ドラマであり、中国制作の時代劇も人気がある。残念ながら日本ドラマはこれらの後塵を拝している。

 ②視聴者へのグループ・インタビュー調査

 ⅰ.日本ドラマへの接触媒体:現地OTTによる接触が最も多く、ケーブルテレビの日本番組専門チャンネル、海外OTTがこれに続く。見たい番組がこれらにない場合は、インターネットの海賊版サイトで探す場合もある。ⅱ.日本ドラマへの評価:日本ドラマは、演技が自然でストーリーがよく作り込まれていると感じている。現実社会の問題・生活を扱っているところに共感している。ⅲ.韓国ドラマへの評価:肯定的な点として、特に20歳台の視聴者は、俳優の逞しさ・美しさ、恋愛ドラマのファンタジー性に惹かれている。また、製作費をかけた映像やCGのクオリティの高さが評価されている。

 ③「テレビ視聴と海外ドラマに関する」Webアンケート調査

 ⅰ.台湾視聴者が「もっともよく見ている海外ドラマ」は、中国ドラマが圧倒的に多く、年代別では若年層がアメリカドラマを見る傾向があった。性別では、男性が中国およびアメリカドラマ、女性が韓国および日本ドラマを見ていた。ⅱ.「海外ドラマを見るメディア」は、年代別では若年層が無料配信サイト、高齢層がケーブルテレビを利用していた。性別では、男性がケーブルテレビ、女性が無料配信サイトを利用する傾向があった。ⅲ.「海外ドラマへの評価」については、台湾視聴者の日本ドラマへの評価は相対的に低いことがわかった。中国、韓国、アメリカドラマの順に評価されている。

 ④上記3調査からの知見

 台湾では、現地OTTやケーブルテレビの日本番組専門チャンネルを介して日本ドラマへの接触機会は十分に確保されているものの、日本ドラマに対する評価は高くない。報告者は、韓国ドラマとの相対的な比較で調査を設計していたが、中国ドラマに対する台湾視聴者の評価が予想以上に高いという結果も得た。今後の調査では、中国ドラマの質的変化にも十分に目配りする必要がある。

 ※本報告は、高橋信三記念放送文化振興基金(2021年度)および放送文化基金(2021年度)の助成を受けた。


中国のオンラインフェミニズムの現状と新しい可能性

―「BL・ミソジニー論争」を入り口として―

江九善(関西大学大学院院生)

【キーワード】ソーシャルメディア、フェミニズム、インターネット

報告要旨

(1)研究の目的

  インターネットの普及とソーシャルメディアの発展に伴い、オンライン空間では女性たちによるフェミニズムに関する議論がより多くなり、そしてより可視化されている。現在のフェミニズム研究では、このようなオンラインでのフェミニズムが「第四波フェミニズム」を構築していると語られることが多い。オンラインフェミニズムは、ソーシャルメディアやブログ、掲示板といったオンライン・メディアを用いて行われるフェミニズム・ムーブメントを指す(井口,2022:9)。

  井口(2022:9-16)によると、近年、オンラインフェミニズムは従来の掲示板とブログなどのプラットフォームから、Twitter、インスタグラム、Facebookなどのソーシャルメディアに移行する傾向が見える。ソーシャルメディア上のフェミニズムの特徴としては、内容を発信すると瞬時に、広範囲の人々との情報共有や議論が可能であることだ(井口,2019)。その代表的な例が欧米から始まった#MeToo運動である。女性たちはハッシュタグ機能を通じてセクハラや性的暴行などの性犯罪被害の体験を共有し、性犯罪が広く存在することを可視化した。

  中国ももちろんこの状況に影響されたが、ハッシュタグ・フェミニズムについては主流化していない。むしろ「豆瓣」など、女性のみにスレッドへの書き込みを制限できる掲示板形式のプラットフォームにおける議論が盛んである。本研究の目的は、「豆瓣」においてフェミニズムの視点からポピュラー文化をミソジニーとして批判する現象を通し、中国のオンラインフェミニズムの特徴を明らかにすることである。

(2)先行研究との差異

  中国では2018年1月から#MeToo運動が始まった。その一方で、中国のインターネットには厳しい検閲があるため、関連するハッシュタグがプラットフォームから削除されることも多く、#MeToo運動のようなハッシュタグ・アクティヴィズムは展開しにくい側面をもつ。先行研究においては、検閲を避けるための中国のフェミニストの戦略が指摘されてきた。例えば、中国語版Twitterの「微博」での検閲を避けるため、戦略的に、MeTooを英語のままで発信するのではなく、英語の発音と近似する中国語「米兎」や、さらに漢字ではなくご飯と兎の絵文字で発信したことなどである(Lindberg,2021:5)。

  本研究は、オンラインフェミニズムの中でも、ハッシュタグ・フェミニズムについて検討するのではなく、他のプラットフォームを利用して展開されるフェミニズムに着目して、中国におけるオンラインフェミニズムの特徴について考察することを特徴とする。

(3)研究の方法

  中国のオンラインフェミニズムの特徴を解明するために、本研究は、中国の女性ユーザーが多く使う掲示板「豆瓣」の使用者にインタビューし、質的分析を行う。調査対象者としては、「豆瓣」の「BL・ミソジニー論争」に関連するスレッドの投稿者にインタビューを依頼した。「BL・ミソジニー論争」とは、2020年頃から中国のインターネット上で展開された、若い世代の女性たちによる、BLはミソジニー的な文化であるかどうかをめぐって激しい議論が展開された現象を指す。

(4)得られた知見

  インタビュー調査を通じて、インタビュー対象者が「豆瓣」で議論する理由は、検閲やアンチからの攻撃が比較的少なく、フェミニスト同士でより深いコミュニケーションをもつことができるためであることが明らかになった。

  「豆瓣」で展開されるフェミニズムに関する議論は、そのグループで発言したい場合にグループを管理する人の許可を得なければならないというプラットフォーム自体の特性によって、ハッシュタグ・フェミニズムのように瞬時に広がることはないが、アンチフェミニストから攻撃される可能性も少ない。そのため、Twitterや「微博」のような他のソーシャルメディアと比べて、「豆瓣」では、フェミニスト同士がより深いコミュニケーションをもつことができるといえる。

   ただし、現在中国では、「微博」におけるフェミニズムに関連するハッシュタグが削除されるだけではなく、「豆瓣」においてもフェミニズムに関する投稿が削除されるケースも増えている。本研究では、中国のオンラインフェミニズムは社会的、政治的、技術的要因の複雑な相互作用の影響を受けていることを論じる。


10:00-11:50 個人・共同研究発表3

都市型ケーブルテレビにおける地域ニュース議題の検証

~ 大都市圏における地域情報の現状 ~

浅岡隆裕(立正大学)

【キーワード】地域情報,議題設定,行政広報,計量テキスト分析,ニュース

(1)研究の目的

本研究は,大都市圏における地域情報の生成・発信と流通状況について実証的に考察を進めるものである。

例えば東京都品川区には,地元のローカル紙(誌)は存在しておらず,地域に関する報道については,全国紙の地域欄(地域紙面)が最も有力なメディアであろう。

一方で,地域住民を対象とした映像メディアであるケーブルテレビ(CATV)が存在しており,地域向けの情報も発信されている。そこで作成された「地域ニュース」では,どういった情報やトピックが放送されているのだろうか。品川区全域を放送サービスエリアとするケーブルテレビ品川では,地域住民向けのコミュニティチャンネルが2系列存在し,様々な地域情報が発信されている。それらのうち番組名に「ニュース」と表記されており,毎週更新の定期性をもって放送されているのは,『わ!しながわニュース』という番組だけである。そこでは実際にどのような情報がニュースとして発信されているのか。その量的な検証を試みる。

(2)先行研究との差異

日本の地域メディアにおいて,いかなる情報が取り扱われているのかについては,深澤弘樹によるローカルテレビ局のニュースの内容分析(2016),岩佐淳一による地域紙の記事見出しに関する量的分析(2022)等の近年の先行研究がみられるものの,実証的な知見の蓄積はあまりなされていないように思われる。地域によっては,ケーブルテレビ局の住民向け放送枠(コミュニティチャンネル)のニュースが,当該地域における時事的なアジェンダ伝達において重要な役割を果たしているとの先行研究がみられる。「地域密着メディア」を標榜するケーブルテレビによる情報発信についての実態検証に本研究は資することになろう。

そして今日では既存の情報発信者に加え多様なメディアが地域社会に立ち現れる中で,当該地区の消費・レジャー(例えば飲食やショッピングに関わるもの)に関わるもの,実用的な情報については多く発信されていることは明らかであろう。一方,既存メディア(企業)の弱体化により,公共的なニュースの減少が全世界的に報告されるところである。

また大都市圏においては地上波民放テレビの置局数からして地域情報流通機能が不十分という指摘もされている。これらの指摘を受けて品川区というフィールドにおいて実際の情報発信・流通状況について検証してみる意義があり,本研究の着想につながっている。

(3)研究の方法

2015年4月~2023年3月までのケーブルテレビの番組『わ!しながわニュース』において放送されたニュースの見出しの文字列データを分析対象とした。計量テキスト分析=テキストマイニング(ソフトウエアKH Coderを使用)によって,使用されている頻出語や言葉同士のつながり(共起ネットワーク)の解析,年や月ごとの比較(対応分析)などを行った。分析対象とした見出し本数は期間計で4,055本であった。

(4)得られた知見

見出しの頻出語としては,「小学校」「地区」「防災」「大会」「教室」がトップ5となっており,「小学校」や小学校区単位での催しや行事に関するニュースが最頻出となっている。「地区」については,言及対象が区内の地名+第〇~第〇地区(例;「大井第二地区」)といった地区割の区分で取り上げれるケースが多く,区や区内の特定エリア全体に関わるニュースというよりも,かなり狭域での出来事やイベントが取り上げられる傾向がみられる。三番目に「防災」に関するものが多く,共起する単語の組み合わせから,地区単位での防災に関わる活動,より具体的に言えば「防災訓練」「防災体験」といったものとして取り上げられている。そして「大会」「教室」については,区や民間といった主催者を問わず,様々なイベントが扱われている。「新型コロナウィルス」については,2022年にワクチン接種など関連するニュースがまとまった放映されているが,件数としては全体的に少なく,当該番組としてはあまり取り上げられる題材ではなかった。放送年度との関連で言えば,「小学校」は全期間で多くみられたが,「祭り」「フェア」「地区」「交流」といったワードは2015~2019年にかなり偏在しており,2020年以降の「ウィズコロナ」の時期での出現頻度の低さとは対照的な結果となっている。

総じて言えるのは,今回,分析対象としたケーブルテレビの「ニュース」では,地域のお知らせ・話題の伝達が主たる機能である。その背景にあるのは,この番組が「区政の動きを映像とともに紹介」と表記されているように,品川区という行政広報の手段となっていることがあろう。過去の映像ニュース素材の多くは,品川区の公式youtubeチャンネルに年度ごとにアーカイブされ,広く公開に供されている。番組のために制作された映像ニュースは放送素材のみならず,地域の出来事の映像的な記録メディアといった機能も担っていると推察される。


日本における脱北者報道に関する考察

―『朝日新聞』『読売新聞』を中心として―

崔恩瑛(上智大学大学院院生)

【キーワード】脱北者、北朝鮮、帰還事業、難民、支援

報告要旨

(1)研究の目的

本研究は、北朝鮮からの離脱住民である脱北者を対象とし、日本メディアの報道を分析する。脱北者の問題は冷戦終息後から注目されるようになり、数万人の脱北者が韓国、中国を始めとする世界各国で生活している。日本にも200人を超える脱北者が暮らしており、この問題は北朝鮮からの逃亡者、人権、安全保障、社会問題などの観点で取り上げられている。

本研究では、この背景を踏まえて、日本のメディアは脱北者をどう扱い、どう報道してきたか。またそれらの報道はどう変化してきたのか。その特徴と要因について明らかにしたい。

(2)先行研究との差異

現在までの脱北者に関する研究は、脱北者の国際的地位、世界各国での難民認定手続き、日本での難民認定の厳格さ、脱北後の生命の脅威感などを元にした実態研究から、国際的な保護と国連支援規定の拡充の必要性について述べられるのが主流である。「李偉(2004)、李仁子(2006)、宮塚寿美子(2016)、孫賢鎮(2017)」

一方で、脱北者報道に関する分析・研究は深掘りされておらず。特に、日本の脱北者報道に関しては、その変遷も含め、十分な研究がなされているとは言い難い。

本研究では新聞報道に焦点をあて、記事分析から考察することで、脱北者問題の扱いの特色を踏まえた上で、日本国内の脱北者問題の扱いに新たな視点を提供したい。具体的には、脱北者問題と北朝鮮問題研究を結びつけ、メディアの役割を再考したい。

(3)研究の方法

本研究では、日本の主要メディアである『朝日新聞』『読売新聞』を研究対象に内容の分析を行った。扱う記事の期間は『朝日新聞』で初めて扱った1996年から2022年12月までにした。具体的な分析方法は、「脱北者」キーワード検索からの年度別変化をもとに関連キーワードの報道量とその中での「脱北者」報道量の割占め率確認などの量的分析と報道量の変化が大きかった期間の報道についkhcoderを用いたテキストマイニング分析で、時期別に脱北者がどう報道されたか明らかにする。

(4)得られた知見

❶日本の脱北者報道は、全体の脱北者集団だけでなく、帰還事業を通じて朝鮮に渡航した日本人脱北者への報道が集中している。1996年から2022年までの期間を通して、27%、特に2003年、脱北者記事が最も多かった年において、帰還事業に関する報道は全体の報道量の4割を占めていた。

❷テキストマイニング分析は、1996年から2022年までの脱北者報道は、大きな変動が見られた時期を基に、Ⅰ2002年から2005年、Ⅱ2005年から2007年、Ⅲ2008年から2022年の三つの期間に分けて分析している。

Ⅰの特徴は「難民」と日本と関係のある「在日朝鮮人」「帰国」「日本人妻」などキーワードが現れ、脱北者全体についてはまだ「難民」と規定して報道の多くは脱北者の困境と強制送還への恐怖が多く現れることである。

Ⅱの特徴は、Ⅰの上位にあった「日本人妻」「在日朝鮮人」「難民」がみられていなく、「拉致問題」「家族」「解決」などのキーワードが上位に現れ、拉致問題解決のための情報源として引用される場合が多かった。

Ⅲの特徴は日本と脱北者の関係が薄くなり、2011年の北朝鮮船舶保護の繋がり以外にはⅠの「日本人妻」もⅡの「拉致問題」も上位から見えないことである。

共通しているのは、脱北者を「支援」や「保護」の同情的観点で報道していること、情報源として報道する場合が多かった。一方、日本生活に関する在日脱北者についての報道は極めて少なく、その数は韓国での脱北者生活の報道数よりも下回っていた。

❸脱北者報道と北朝鮮報道の報道量の動きは異なる傾向を見せる

・脱北者報道は2002年から2005年、2005年から2007年、2008年から2015年に目立つ変動を見せている。この報道量変化は北朝鮮報道の前半、2008年までの報道量の動きとは同じ傾向を見せるが、その以降は違う傾向を見せる。特に南北首脳会談の時間が決まった2017年から2018年頭までは北朝鮮報道の中で2番目に報道量が多かった時期であったが、脱北者報道の報道量は北朝鮮報道量ほどの変動は見せていない。

考察

脱北者についての報道で多い割合を占めているのは帰国事業関連報道で、その中での、日本人脱北者とその家族は「支援」「保護」のような同情的な観点で描かれる場合が多かった。

また、Ⅰ2002年から2005年の時期から日本報道での脱北者を大きく「日本人脱北者とその家族」「以外の脱北者」の2種類に分けられ、徐々に前者を「日本人妻」「邦人」などで呼ぶ場合が増えている。そのため、2008年以降の脱北者報道が北朝鮮報道と異なる傾向を見せるのは、日本政府の対朝外交が制裁措置へと変わった理由以外にも、この時期の脱北者は日本メディアとしては日本と関係のない他国の難民であるとの理由も潜在していると思える。

とはいえ、在日定着後の脱北者生活についての報道が少ない点から、脱北者報道の多様性と追跡のメディアの役割については不足していると考えられる。


メディア倫理と「表現の自由」の普遍性

-日本とインドの成立と各綱領からの考察-

引地達也(みんなの大学校)

アルン・プラカシュ・デゾーサ(上智大学)

【キーワード】メディア倫理、表現の自由、インド、新聞倫理綱領、憲法

報告要旨

(1)研究の目的

本報告の目的は、民主的社会とメディア活動における普遍的価値としての「表現の自由」の具体的な行為としてのメディア倫理活動との関係を、人口減の日本での議論を踏まえた上で、人口増や経済発展により世界的影響が増しているインドとの実態を比較することで、普遍化に向けた議論の整理を目的とする。

 ウクライナ戦争への対応による対立軸が鮮明になる国際情勢にあって、インドはグローバルサウスをけん引する役割を担うその存在感は増している。日本との良好関係を維持発展させようとする両国の政治的動向に追随しメディア活動も活発である。異なる文化を背景にした両国のメディア活動の差異と共通項を明示することで、確実で信頼のできる情報交流の素地を固めたい。

(2)先行研究との差異

表現の自由やメディア倫理に関する国際的な比較は欧米と日本を中心に行われているが、インドと日本に焦点を当て、メディア倫理に関する設立経緯の類似性を示しながら、新聞倫理綱領等の具体的なガイドラインを抽出して比較するのは新しい視点である。

アルンと引地は2020年秋季研究発表での「アジア各国におけるメディア倫理の『普遍性』を考察する―意識調査により比較する『期待』『失望』の実態-」においては、日本とインドの研究者へのインタビュー及びアンケートを実施し、ほかのアジアの諸国とともに比較検討している。この研究から得た倫理観の相違を念頭に、研究をより深化させるための礎としたい。

(3)研究の方法

本研究では、これまでの歴史的経緯を概観し、インドと日本の表現の自由に関する根拠法とメディアに関する倫理綱領の設立経緯を確認し、社会的意義づけを文献調査やマスメディア報道で整理する。

(4)得られた知見

憲法制定や「表現の自由」の導入の経緯、新聞倫理綱領との関係性等から示された日本とインドの「メディア倫理活動」の輪郭を追究したことで、それぞれの文化に根差したメディア倫理が模索され、現状の形になったことを浮かび上がらせた。インドでは人口の増加、産業発展と国民生活が向上する中にあって、その倫理は進行性の様相を帯びている。その中心的役割を果たしているインド報道評議会(Press Council of India)は、1978年制定の報道評議会法(Press Council Act)に基づいた法定準司法的自治機関であり、1975-77年の非常事態宣言を受けて報道の自由を尊重しようとの意図が強化された上で設立した経緯がある。最近では発行する『ジャーナリズムの行動規範(2022年版)』でランジャナ・プラカシュ・デサイ判事は「自由な報道は民主主義における選択ではなく、必要不可欠なものである。それは人々の声であり、人々が集団的な意見を形成するのに役立つ情報を提供する特別な目的の手段である」と明記しており、その理念が現在のインドの民主主義を支えているといえよう。一方で日本では人口減少の現実と産業構造の変換が余儀なき状況では、メディア倫理の維持を目指しながら、既存のメディア感覚では覆いきれない新しいメディアへの視座とともに、新しい倫理の構築が待たれる状況である。インドも日本もこれまでのメディア倫理の形成過程を踏まえ、新しいメディアに対応したメディア倫理に関する普遍化は新しい情報領域への共同開発を下支えするものと期待され、市民レベルの交流を活性することも期待される。さらに個々のレベルでの交流ではこの倫理観の違いを認識し共通項を確認することが、その理解が促進されると考えることができよう。


13:10-15:20 個人・共同研究発表4

戦後韓国の出版産業において日本海賊版文学市場の形成過程

金、知ソク(北海道大学大学院院生)

【キーワード】海賊行為、海賊版、日韓関係、物的・制度的土台

⑴研究の目的

本研究の目的は、1960年代の韓国で流通された「日本文学の海賊版」出版物をめぐる物的・制度的土台を記述することによって、東アジアにおける「ポストコロニアルな海賊行為postcolonial piracy」がどのような社会・文化的な条件のもとで構築されたのかを史的に呈示することにある。このため、①1945年から1950年(韓国において「解放期」)における韓国の「海賊版」小説がどのような物的・制度的土台から築きられていたのかを調べる。②1960年代の韓国における「日本文学」の出版物がどのような物的・制度的土台から築きられていたのかを調べる。③1960年代韓国における「日本文学の海賊版」の存在が、いわゆる解放/敗戦以後の日韓におけるポストコロニアル的な政治性の絡み合いだけでなく、中層的な構造のもとで成していたことを確かめ、それが東アジアにおける「ポストコロニアルな海賊行為」の条件としてなりうるという可能性を呈示する。

(2)先行研究との差異

著作物に関する既存の言説は、一般的に「海賊行為piracy」を近代的な著作権を侵害する不法的なものとしてみなす視覚を共有してきた。その一方、海賊版および海賊行為をヨーロッパ中心的な「近代性modernity」に亀裂をさす「境界的なものboundary object」として捉えようとする試みもなされてきた。このような試みは、近代性がヨーロッパの中から自生してきた概念ではなく、帝国主義的な拡張をつうじてヨーロッパの外から「他者」を発見することによって可能になったという、つまり植民地における「他者」と向き合うことで「近代人」としての自らを想像されるようになったという議論に基づく。そしてこれは、海賊行為および海賊版の問題を「植民性coloniality」に対するポストコロニアリズム的な批判の延長から考えさせるきっかけにもなった。著作権と海賊行為の言説をめぐるグローバルノースglobal north的な中心性を解体し、「近代性」に対する批判を経由して「植民性」に対するグローバルサウスglobal south的な対案に進む先行研究は、上述した脈絡の上にあると言える(Lars Eckstein・Anja Schwarz edited, 2014, Postcolonial Piracy:Media Distribution and Cultural Production in the Global South, Bloomsbury Academic)。

このように先行研究は、「海賊行為」が著作権を侵害する不法的なものだとみなすグローバルノース中心の視覚から離れようとする。このためグローバルサウス的な知見から①著作権と「近代性」が築きられてきた物的・制度的土台に対する批判的研究を行い、②著作権と「植民性」が築きられてきた物的・制度的土台に対する批判的研究を行う。しかし日韓の間の「ポストコロニアルな海賊行為」を捉えるに当たって、このようなプロセスはひとまず完璧に当てはまるとは言えない。韓国内での日本文化に対する「海賊行為」は、「植民性」はもちろん著作権に関わる「近代性」の議論でも説明しきれない中層的な脈絡を形成しているからだ。この中層性を捉えるためには、日韓の間の「ポストコロニアルな海賊行為」を考える基礎作業として、韓国における「日本文化」の「海賊行為」がいかなる物的・制度的土台から築きられてきたのかに対する系譜を確かめる必要がある。

(3)研究の方法

本研究では日韓間の「ポストコロニアルな海賊行為」を確かめるため、その対象を「出版物」の範疇に集中する。これは解放後の韓国という混乱した社会の中で最も早く物的・制度的基盤が整備されたメディアが「出版物」であることに起因する。そして①解放期における出版条件のもとで韓国小説の海賊版はなぜ「境界的なもの」として見なすことができるのか確かめる。その後②1960年代における出版条件のもとで日本翻訳小説の海賊版はなぜ「境界的なもの」として見なすことができるのか確かめる。最後に③60年代韓国における「日本文学」の海賊行為は、「グローバルノース/グローバルサウス」の場合とは分別される、異なる「ポストコロニアルな海賊行為」としての特徴を有していたことを、その「海賊版」を取り巻く中層的な構造に準えて説明する。

(4)得られた知見

今までの議論を通じて得られる知見は、1960年代の韓国における「日本文学」の「ポストコロニアルな海賊行為」が持つ「境界的なもの」の対象を、およそ「冷戦」「ポストコロニアリティ」「市場経済」「ジェンダー」の四つの範疇に区切られて挙げられることができるということだ。そしてこれは1960年代の韓国における「日本文学」の「海賊版」を取り巻いていた中層的な構造の面々でもある。その中でも特に「ジェンダー」は、上述した四つの中のどちらかのポジションにも固定させない「境界的なもの」としての「動力」を例証しているので、注目に値する。


日中戦争期の華北占領区における日本とその協力政権の宣伝工作

――新聞管理と言論統制を中心に

曲揚(日本学術振興会)

【キーワード】日中戦争期、華北占領区、宣伝工作、新聞管理、言論統制

報告要旨

(1)研究の目的 

 本報告は日中戦争期の中国華北占領区における日本とその協力政権の宣伝工作を対象とし、当時の公的資料と華北占領区で発行された新聞雑誌の調査研究を通じて、新聞管理と言論統制を中心に、華北占領区における宣伝工作の政策展開や組織体制を整理し、その実践と特徴を考察する。

(2)先行研究との差異 

 日中戦争期の日本の対中国宣伝活動に関連した研究は、主に満州国と中国大陸占領区を統括する汪精衛国民政府に注目し、占領区を一括して論じることが多かった。しかし、華北占領区は満州国のような独立した国ではなく、実質的に日本の支配を受けながらも名義上「中華民国」を保っているという特殊な状態であり、大陸占領区の中でも実質的な自治が行われたため、満州国と汪精衛国民政府を混同して語るのではなく、史料や当時の刊行物を整理し、実証的に研究する必要がある。現在、華北占領区における宣伝工作を対象とした先行研究には、新聞統制を概略的に論じたものや、華北占領区協力政権の変遷や政治体制、同盟通信社・新民会などの団体組織、『庸報』『華北新報』など当時の代表的新聞に注目し、華北占領区における宣伝工作の一側面のみ取り上げるものがほとんどである。そこで、本報告は、可能な限り全面的に資料を網羅し、先行研究に言及されていない新資料を発掘し、満州国と華中南占領区と比較しながら、日中戦争期の華北占領区における日本とその協力政権の宣伝工作の展開、論理、実践と限界を考察し、宣伝工作の特徴と全体像の解明を試みた。

(3)研究の方法 

 本報告は主に資料に基づく実証的方法をとる。手順として、史料整理、新聞雑誌の言説分析を基軸としながら、研究を深化させていく。日本とその協力政権が華北で行った宣伝工作の政策方針、組織形態、管理体制について、日本政府、日本軍の政策指令や調査資料、華北占領区の行政機関に関する記録や紀要、各種団体組織の機関誌、新聞雑誌、通信社の資料などを使用して整理する。また、華北占領区における宣伝工作を検証するために、本報告は北支那方面軍の中国語機関紙『庸報』と中国語国策新聞『華北新報』を中心に、分析と検証を行う。

 時期区分について、本報告は日本とその協力政権の統治・宣伝政策、新聞統合を総合的に考慮し、1937年盧溝橋事件直後から1940年汪精衛国民政府が成立するまでの確立期、汪精衛国民政府の成立から太平洋戦争勃発までの思想戦期、太平洋戦争勃発から1944年5月までの「大東亜聖戦」期、1944年5月華北占領区の新聞新体制の確立から終戦までの文化戦期という四つの時期区分にした。

 本報告が新たに発掘したものは、華北占領区の宣撫組織新民会による新聞調査『京津新聞事業之調査』、華北新聞協会の規約と名簿、華北占領区の中央政府華北政務委員会が出した宣伝指導要綱、北京新聞協会の機関誌『北京新聞協会会報』や華北宣伝聯盟の機関誌『華北宣伝報』である。本報告では日中両国の調査、そして新聞協会の記録、新聞雑誌の言論記事を合わせて考察することで、信頼性をより高める。

(4)得られた知見 

 日中戦争期における日本の宣伝工作を概観すると、国内、各占領区、満州国や植民地の相互影響と各自の独自性が見られる。華北占領区では満州国の通信社一元化の経験を活かしながらも、戦局に合わせて地域の実情に即した宣伝工作が模索、実施され、その特徴は以下の3つにまとめられる。

 1、戦局の進展とともに、宣伝工作の効果を発揮するため、宣伝体制は分野ごとに管理する体制から強力な一元化管理体制になった。2、戦局に応じて宣伝工作を行う主体が、日本軍から中国側協力者へ、また日本軍へと戻されるという過程を辿り、中国人も宣伝工作の指導や現場に深く関与した。3、言論統制の方針は、消極的取締から積極的な言論誘導へと転換し、報道機関を利用して民心を獲得しようとした。宣伝工作の軸は、戦況の悪化とともに武力から経済そして精神という道筋をたどり、理性に訴える宣伝から感性を動かす精神論へと変化した。

 以上のように整理すると、華北占領区では一元化体制により強力的な統制を実現し、宣伝工作の役割を発揮できたように見えるが、戦局の悪化につれて、華北占領区の各分野で行われた一元化統制は、逆に資源の不足を背景とした一種の人員削減だったと思われる。つまり、宣伝されている一元化体制は、華北占領区における宣伝工作の破綻を隠す表現だったという推測が成り立つ。

 華北占領区における宣伝工作には表向きの日中連携と実質的な日本支配が併存する二面的な性格を持っていた。その影響で、華北占領区の宣伝工作に描かれた日本支配が前提となる東亜共栄という未来像は、対日協力者を含む中国人が求めた国家の独立と発展を果たす未来像との間に根本的な矛盾を生じさせ、中国人の心に届くものではなかったからだと考えられる。


Presentation title: English-language Lifeline: The Japan Times’ Coverage of the1923 Great Kanto Earthquake, the 1995 Hanshin-Awaji Earthquake, and 2011 Tohoku Earthquake

Eric Johnston

The Japan Times, Senior National Correspondent

【キーワード】 Japan, Times earthquakes

何を対象に

The Japan Times was founded in 1897 in order to provide a Japanese perspective to the outside world in English about the major political, economic, and social events taking place within Japan. While offering practical information to residents about local cultural events, including listings of when and where select events were taking place at, providing critical information to readers who were directly impacted by natural disasters was not part its early history.

That changed with the September 1, 1923 Kanto earthquake. The paper’s building was destroyed, and it would it be four days until typewritten, one-page bulletins about the quake began appearing after the paper’s reporters and editors turned the Imperial Hotel into their office, followed a few days later by more professional typeset versions. The initial information was just-the-facts and statistics about what was happening, based on official sources. In the following weeks, however, The Japan Times would begin to provide more information specifically tailored to the needs of Tokyo residents struggling to find information for their daily lives.

Using reports from the September 1923 editions of The Japan Times on the Great Kanto Earthquake, as well as the January 1995 and March 2011 editions of The Japan Times about the Great Hanshin Earthquake and the Tohoku earthquake and tsunami, this presentation will compare and contrast how the both reported official news about what was happening on a day-to-day basis following the disasters and provided disaster relief and other practical information to local readers.

研究方法

For this presentation, research was conducted in the online archives of The Japan Times. Several dozen newspaper articles published between Sept. 1, 1923 and April 15, 2011 will be used.

Selected reports for the one-month period following the September 1, 1923 Great Kanto Earthquake will be examined for the story choices and the language used, and within the larger context of five conditions under which the paper reported;

(1) the physical and logistical constraints on reporters and editors who covered it, which included gathering information after martial law had been declared and transportation and communication links were broken;

(2) the available communications technology of the time for getting the news out, which consisted of the telegraph and newspapers mainly, as telephones were still rare in Tokyo at the time and commercial radio was in its infancy;

(3) the reaction of Japanese authorities to the quake and how that affected the reporting, including official reactions to rumors of rioting;

(4), the types of audiences in Japan for English-language news and information about the quake, which included both resident foreigners and Japanese who had lived abroad; and

(5) the attitudes and priorities of The Japan Times editors towards these audiences as seen through their story selections, which often displayed a tendency to emphasize specific individuals they believed their audience would know personally, or know of.

Based on the same five conditions, the presentation will then turn to how the paper covered the January 17th, 1995 earthquake for the first week following the disaster. In addition to comparing The Japan Times’ 1995 reporting to that of its 1923 reporting, the author, who covered the quake for a rival English language newspaper, will, using those rival paper’s reports, compare and contrast how The Japan Times’ coverage was different from his own paper’s coverage, and how the audiences the paper was speaking to were slightly different.

Finally, using archival material from The Japan Times as well as research by the author published by The Japan Times in a 2012 book on how the world’s media covered the events of 3/11, the author examine how The Japan Times covered the Tohoku Earthquake and its aftermath, including what kinds of not only news about the disaster but also local information it provided for Japan’s international community, and how its reporting differed from other English-language reporting, including overseas reporting.

The presentation will conclude with a summation of how The Japan Times editors, as well as, in the cases of the 1995 and 2011 earthquakes, the author’s own reporting, approached the twin roles of providing news about the three disasters to the world at large and providing practical English language information that served as a lifeline to Japan’s resident international community. It will touch on the political, social, economic, and technological circumstances unique to each disaster, and how those circumstances shaped coverage of that news and information.

PREVIOUS STUDIES: The author is unaware of previous English-language studies on this topic.

By doing so, the author will demonstrate how The Japan Times, a paper originally founded to promote the official interests and opinions of a relatively narrow strata of Japan’s elite leadership and focused mainly on political and economic events in Japan and the world, evolved, through its response to specific Japan-based disasters, into a more community-oriented English language journal where the traditional definition of what was deemed by the editors sufficient news for that community expanded and diversified with each disaster.


13:10-15:00 個人・共同研究発表5

2023年ウェブ調査からみる「ネット右翼」の現在

辻大介(大阪大学大学院)

【キーワード】サイバーナショナリズム、計量調査、インターネット研究

報告要旨

(1) 研究の目的

 一部の匿名電子掲示板のジャーゴンであった「ネット右翼」が全国紙上でも取り上げられるようになり、社会に広く認知され始めるのは2005年以降のことである。この年には「それまでのネット右翼の活動の集大成」とも評されるムック本『マンガ嫌韓流』も出版されており、そこには歴史修正主義と排外主義がない交ぜとなって色濃く表れていた。その後、2007年に発足した「在特会」(在日特権を許さない市民の会)がヘイト活動を先鋭化させていくにともない、「ネット右翼」もまた(歴史修正主義や保守的イデオロギーとは必ずしも関連しない、より端的な)排外主義者としての側面が言挙げされるようになっていく。

 以来15年余を経て、「ネット右翼」はかつてほど殊更に問題として取り上げられなくなったように思える。2016年のヘイトスピーチ解消法の施行等により街頭などでのヘイト活動は確かに目立たなくなった。しかし、ネットでの排外的・差別的言辞の問題状況は変わっていないという被害当事者の声も根強く、それに影響を受けたと思しきヘイトクライム(と呼びうる事件)も発生している。「ネット右翼」という存在・現象はもはや目新しくもなくなったがゆえに、むしろ問題として注目を集めなくなっただけかもしれない。

 2023年現在、「ネット右翼」層はどのくらい存在し、どのような行動・心理傾向の特徴をもつ人びとなのだろうか? かつてと比べて、規模の増減や特徴面の変化はあるのだろうか? 計量調査データにもとづきつつ、これらの点を明らかにすることが、本報告の目的である。

(2) 先行研究との差異

 「ネット右翼」に関する先行研究は決して多くはない。最初期のものとして北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』(2005年、日本放送出版協会)、近年のものとして伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』(2019年、青弓社)などがあるが、いずれも現代史的記述・考察を軸としており、計量的アプローチとしては、報告者の既刊論文を除くと、永吉希久子「ネット右翼とは誰か」(樋口直人ほか『ネット右翼とは何か』所収、2019年、青弓社)を数える程度である。

 永吉は2017年に実施した8万人規模のウェブ調査データをもとに、操作的に定義した「ネット右翼」が全サンプルの1.5%であることのほか、保守的政治志向をもたない「オンライン排外主義者」が3.0%であること、そのほか興味深い多変量解析の結果を報告している。しかしながら、すでに5年以上前の調査であり、本報告では最新の状況の記述および報告者が過去に実施した調査との比較から導かれる知見を提供する。

(3) 研究の方法

 日本の大手ウェブ調査事業者の登録モニターのうち20~69歳を対象として、男女別に5歳区分の計20セルに計画サンプルを均等に割り当て、2023年3月1日~4日にウェブ質問紙による調査を実施した。それによって得られた回収した2,762ケースについて、報告者がこれまでに実施してきた「ネット右翼」調査に準ずる形で、回答の信頼性に関する一定の基準を設けてデータクリーニングを行ない、最終的な有効回答としてN=2,525ケースを得た。この有効回答ケースをもとに統計解析を行なった結果を報告する。

(4) 得られた知見

 報告者が2007年に行なったウェブ調査(20~44歳の男女対象)では、次のa~cの3条件すべてを満たす者を「ネット右翼」として操作的に定義した:[a]中国・韓国への否定的態度(いずれの国にも「親しみを感じない」)、[b]保守的政治志向(憲法改正等の5項目すべてに賛成)、[c]政治や社会問題に関するネットでの意見発信・議論(4項目いずれかの経験が直近1年間にある)。

 2023年調査データでもこれと同等の操作的定義により(条件cのみ、ネット環境の変化をふまえて3項目を新規追加し、7項目に変更)、「ネット右翼」層の比率を算出すると、1.9%(n=48)であった。2007年および14年・17年調査の結果と比較しても、特段の増減はみられない。「ネット右翼」に該当しない一般層との比較からみられた特徴としては、岸田政権の打ち出した防衛費の大幅増額には賛成が8割を超えるが、首相好感度はむしろ低く、安倍元首相への好感度が顕著に高い。また、古典的レイシズム以上に現代的レイシズムの意識が強い。その他、詳細は当日の報告で紹介する。


メディア接触による主要政党の政策に関する政治知識への影響

長濱憲(東京大学大学院院生)

【キーワード】メディア接触、政治知識、ソーシャルメディア

報告要旨

(1)研究の目的

 本報告の目的は、有権者のメディア接触が、主要政党の政策に関する政治知識量に及ぼす影響を明らかにすることである。

(2)先行研究との差異

 Downs(1957)の「民主主義の経済理論」によれば、有権者は、投票によって得られる効用がコストを上回る場合に投票する。そのため、自分自身の効用を満たす政党の情報を得ることが、投票参加の重要な要因となる。また、有権者が各政党の政策に関する情報を記憶すると、政治知識となる。つまり、政党の政策に関する政治知識量が多い有権者ほど、どの政党が自分自身の効用を満たすかを把握しており、投票する可能性が高いことが予測される (Delli Carpini & Keeter 1996, Verba et al. 1997)。

 有権者の政治知識量に影響を及ぼす変数として、メディア接触が挙げられる。先行研究では、新聞(Robinson and Davis 1990)やテレビ(Graber 1990)、その両者(Neuman et al.1992)、オンラインニュース(Dimitrova et al.2014)等への接触が政治知識に及ぼす影響を示している。

 今日の日本では、生活者のメディア利用時間はマスメディアからソーシャルメディアへと比重が移っている(総務省情報通信政策研究所 2023)。また、オンラインニュースとソーシャメディアでは得られる政治知識が異なるとの分析結果もある(Beam et al. 2016)。そのため、インターネット上のメディアの中でも両者の影響を分けて分析することが重要である。

 本研究では、有権者のメディア接触が、政党の政策に関する政治知識量に及ぼす影響について分析を行った。特に、オンラインニュース(ネットニュース)、ソーシャルメディアのそれぞれへの接触がもたらす影響を明らかにした点が、本研究の意義と言える。

(3)研究の方法

 2022年7月の参議院選挙において、選挙前後に計2回のインターネット調査を実施した。第1回調査は2022年6月22日の公示前に実施し、第2回調査は7月10日20時の開票後に行った。分析対象は、第1回調査と第2回調査の両方に回答した1560サンプルである。なお、本研究では調査データをパネルとしてではなく、一時点のクロスセクショナルな分析に用いている。

 分析方法としては、主要政党の政策に関する政治知識量を従属変数とする重回帰分析を行った。独立変数は、モデル1ではニュースを知るための普段のメディア接触時間、モデル2では選挙期間中の選挙関連情報に関するメディア接触頻度を用いた。さらに統制変数として、性別、年齢、最終学歴、世帯収入、政治関心を用いた。

 モデル1の独立変数としては、ニュースを知るために普段「テレビ」「新聞」「パソコンやタブレット型端末」「スマートフォンや携帯電話」に接触した1日あたりの平均時間を用いた。モデル2の独立変数としては、選挙期間中に選挙関連情報へ「テレビ」「新聞」「ニュースサイト」「政党・候補者が投稿したSNS」「友人・知人が投稿したSNS」を通じて接触した頻度を、「ほぼ毎日」から「まったく見ていない」までの5件法で尋ねた。

 従属変数としては、主要政党の政策に関する政治知識量を用いた。政治知識は「統治の仕組み」「政党政治の動向」「政治リーダー」の三次元で構成されている(今井 2008)。本研究ではDowns(1957)の理論を操作化した変数として、「政党政治の動向」に関する政治知識量を用いた。具体的には、自由民主党と立件民主党の公約・キャッチフレーズ・構想について計7問の質問を行い、その正答数を合算して政治知識量に関する変数として用いた。

(4)得られた知見

 分析の結果、モデル1では、ニュースを知るために普段「テレビ」「新聞」「パソコンやタブレット型端末」に接触する時間が、主要政党の政策に関する政治知識量に正の影響を与えていた。一方、「スマートフォンや携帯電話」への接触時間の影響は非有意だった。

 モデル2では、選挙期間中の「テレビ」「新聞」「ニュースサイト」「政党・候補者が投稿したSNS」を通じた選挙情報への接触頻度が、政治知識量に正の影響を与えていた。一方、「友人・知人が投稿したSNS」は負の影響を及ぼしていた。

 以上の調査データの分析から、「テレビ」や「新聞」を通じたニュースや選挙情報への接触は、主要政党の政策に関する政治知識量に正の効果を持つことが示唆された。また、「パソコンやタブレット型端末」「ニュースサイト」も正の効果を示した。一方、「スマートフォンや携帯電話」を通じたニュースへの接触と、「友人・知人が投稿したSNS」を通じた選挙情報への接触は、非有意と、負の効果を持つ結果となった。

  インターネットの普及が有権者の政治参加に及ぼす影響については、肯定的、否定的の両方の研究結果が見られる(小林等 2011)。本研究では投票参加に影響を及ぼす変数として、政党の政策に関する政治知識量を設定し、メディア接触が及ぼす影響の分析を行った。その結果、同じインターネット上のメディアでも、ニュースサイトとソーシャルメディアでは政治知識量に対して異なる影響を及ぼしている可能性が示唆された。


ファクトチェックの有効性の検証
沖縄県知事選2018におけるTwitter上の疑義言説を事例に

永井健太郎(早稲田大学現代政治経済研究所)

瀬川至朗(早稲田大学)

【キーワード】ファクトチェック、疑義言説、ソーシャルメディア

報告要旨

(1)研究の目的

 本論文の目的は、2018年沖縄県知事選挙において拡散した疑義言説(真偽不明の情報)とそれらに対するファクトチェック(以下、FC)の拡散傾向を分析することで、FCが疑義言説の拡散を抑制する効果があるのかどうかを検証することである。

(2)先行研究との差異

 日本においてFCがソーシャルメディア上の疑義言説の拡散に影響を及ぼすかどうかは未解明であった。国際的な研究動向としては、FCの個人への説得効果に焦点が当たってきた。その効果に関しては、FCのような訂正情報に対して、自分の信念を逆に強化してしまう「バックファイヤー効果」(Nyhan & Reifler, 2010)が有力視され、逆に党派性に合致している訂正情報は受け入れれやすい(Weeks, 2015)とされてきた。しかし、近年の研究では、バックファイアー効果は認められず、自分の党派性に相反する情報であっても、事実に基づいた情報は認知することがわかっている(Wood and Poter, 2019)。また、真偽不明情報であることをファクトチェックにもとづいて警告することで、誤解を抑えられる可能性も示されている(Clayton et al., 2020)。

 日本においては、本研究と同様の沖縄県知事選2018を扱い藤代(2020)がFCに関する分析を行っている。藤代(2020)はFCが分極化を促すという前提のもと、疑義言説およびFCに反応するアカウントの特性を探り、分極化しているのではないかという知見を得ている。しかし、フェイクニュースとFCに反応した一部のアカウントしか収集しておらず、その傾向が全体にわたっているのかどうか未確定である。また、日本において、FCがTwitter上で疑義言説の共有を抑制するのかどうか、FC後も疑義言説が共有され続けるのかどうかはわかっていない。そこで、本研究では、藤代(2020)の知見を検証するとともに、FCがTwitter上で疑義言説の共有を抑制するのかどうかを検証する。

(3)研究の方法

 この目的のために、沖縄県知事選2018で流布した疑義言説の中から、地元有力紙がFCを行った疑義言説5つを選定し、それらの疑義言説に対するFCが行われる前後での投稿内容の変化を確かめることで、FCの有効性を検証する。

 5つの疑義言説とは、玉城候補がダブルスコアで有利であるとする〈世論調査〉に関する疑義言説、玉城候補の〈一括交付金〉創設の成果を嘘とする投稿、安室奈美恵が翁長知事と玉城を支持しているとする情報〈安室支持〉、佐喜真候補の携帯電話料金4割削減公約〈携帯電話〉、佐喜真候補が宜野湾市長だった時に公約と異なる〈学校給食〉の値上げしたという投稿の5つである。

 Twitterへの投稿データは、NTTデータに委託し、2018年9月1日〜10月15日の期間における計50万件の関連ツイートのデータを入手した。関連ツイートとは、「(知事選 or 沖縄) and (玉城 or デニー or 佐喜真 or さきま or 佐喜眞 or 米軍 or 基地) 」で検索をかけてヒットしたツイートである。この条件で検索したヒットしたツイートは、オリジナルツイートとリツイートを含む約350万件である。この約350万件から無作為ランダムサンプリングによって50万件の関連ツイートを取得した。この50万件から先の疑義言説に言及するツイート合計20726件を、関連する疑義言説を肯定/否定/どちらでもない/無関係に、コーディングを実施し、無関係にコードされたツイートを除外した。最終的に、5つの言説に関連するツイート〈一括交付金〉2510件、〈安室支持〉602件、〈学校給食費〉1407件、〈世論調査〉1176件、〈携帯電話〉8620件のデータセットを得た。これらに対して、肯定・否定比率の FC 前後における変化をχ2検定を行う。次に、これらのツイートの投稿者のアカウントを、プロフィール欄の記述をもとに党派傾向を、右派/左派/どちらともいえない/わからないに分類し、FC前後における疑義言説および訂正情報に反応する党派傾向を、相関分析で特定する。

(4)得られた知見

① 肯定・否定比率の FC 前後における変化(FC 前後のχ2 検定)

 FC前後における独立性の有無をχ2検定で検定した。5つの事例ともにFC前後で有意な変化がみられた。FC後に疑義言説を肯定するツイートが有意に減少し、否定するツイートが有意に増加した(〈安室支持〉、〈学校給食費〉、〈世論調査〉)。〈一括交付金〉でもFC後に否定ツイートが有意に減少しているが、〈携帯電話〉は「どちらでもない」ツイートが有意に増加した。

② 政治的選択度のFC前後における変化

 疑義言説についての投稿内容と、アカウントの党派性の関係を検証するために、スピアマンの順位相関係数を算出した。その結果、FC前の疑義言説への反応には党派的偏りがある傾向が見られたものの、FC後の疑義言説への反応では、その党派的偏りが小さくなる傾向が見られた。  上記の結果を踏まえ、FCによって疑義言説の拡散が抑制される効果があることが示され、FCが党派的な偏りを小さくする可能性があることも示された。


13:10-14:50 個人・共同研究発表6

トランスナショナルなコンテンツと国家の節合関係の検討:K-POPと「韓国らしさ」についての産業界の言説を事例に

喜多満里花(大阪公立大学)

【キーワード】K-POP、国家ブランディング、音楽産業、ナショナル・アイデンティティ

報告要旨

(1)研究の目的

 本研究は大韓民国(以下、韓国)の国家ブランディングにおいてイメージ資源として多用されるK-POP(韓国ポピュラー音楽)が、産業界においてどのように文脈化され、何と節合されているのか明らかにすることを目的としている。

 K-POPは2000年代より世界的に消費されるようになり、韓流と呼ばれる韓国大衆文化ブームの主要コンテンツの1つになっている。韓国政府はこうしたブームを受け、国家ブランディングにおいてK-POPを韓国イメージを形成する資源として積極的に活用している。政府刊行資料では、海外向けにはK-POPはハイブリッド性やトランスナショナル性と節合され、国内に向けては伝統文化とK-POPに節合関係が見られた(喜多 2020)。

 国内向けの文脈化とはうらはらに、2010年代からは楽曲やアーティストの企画段階からグローバルな市場を見据えたコンテンツ制作が行われるようになり、この事実は盛んに韓国メディアにより取り上げられている。また大手音楽レーベルは自社の音楽性をグローバルであることと公言する。そのような事実を受け、本研究ではK-POPの制作や流通を担う産業界におけるK-POPの文脈化や意味付与、とりわけ「韓国らしさ」や韓国の優位性についての語りを検討し、国家の言説との相違点を検討する。

(2)先行研究との差異

 既存の国家ブランディング研究は実践者やマーケティング研究者によるものが多く、主に技術経済的なアプローチや国際コミュニケーションの視座からの研究が多く、政策に対し十分に批判的な検討が加えられているとは言えない(Kaneva 2011) 。批判的な検討においては、文化のナショナルな枠組みへの結びつけへの批判(岩渕 2001, 2007) や、政策の市場化についての批判 (Volcic and Andrejevic 2011,  Kaneva 2016)、またブランド策定プロセスへの国民の不在への批判(Aronczyk 2008, Jansen 2008) が見られる。このような問題提起は、実践で見過ごされている国家ブランディングの側面を論じようとするものであり、大変意義深い。しかし以上の論点だけでは、国家ブランディングの持つ矛盾や問題点を十分に論じられていない。国民を含めた国家ブランディングの広範なステイクホルダーの対立関係や利害関係、共謀関係の中でブランドが構築されている動的様態を検討することで、国家ブランディングの問題点が論じられなくてはならない。本研究はそうした問題意識から、K-POPをめぐる言説の相違や矛盾についての調査を行い、さらなる国家ブランディング研究の深化に寄与することを目指すものである。

 またK-POPや韓国ドラマなどの韓国大衆文化は国内外で盛んに研究されているが、その多くはファン研究や受け手研究である。加えてそこでもK-POPや韓国ドラマは、ごく簡単に「韓国で作られたコンテンツ」を指している。また政策的な観点から論じられても、その成功の要因を検討するものが多く、一般的な言説においても「韓流ブームは国策だ」と揶揄を含み表現されることもしばしばだ。

 本研究は送り手や作り手に着目し、K-POPを取り巻く複雑な生産過程や政策のつまづきを論じることで、韓国大衆文化研究に新たな視座を付け加えたい。

(3)研究の方法

章では韓国の最大の記事データベースであるBIGKindsを使用してデータ収集し、ドキュメント分析をおこなった。分析対象となる記事の選定プロセスは以下の通りである。

①BIGKindsで収集可能な1990年1月1日から2016年12月31日までの記事を対象に、記事タイトルもしくは本文に「케이팝」「K팝」「K-POP」のいずれかを含むものを検索

②その中から主題がK-POPではないもの、写真だけのもの、重複しているものを除外する

③記事の内容を精査し、K-POPのグローバル化の要因やK-POPの独自性に言及しているものを抽出する

(4)得られた知見

 本研究によって主に以下の2つの知見を得た。

①メディアにおいてK-POPのグローバル市場での独自性や成功が語られるとき、その語り手は大まかに分類して2つに分けられた。1つはコンテンツの制作者である芸能企画社やエンターテイメント事業社であり、もう1つは記者や大衆音楽評論家のようなコンテンツ制作に関与しない専門家である。二者の語りは常に一致するものではなく、後者が前者を批判することもまま見られた。しかしK-POPの独自性、優位性については概ね同じものであった。

②産業界のアクターの語りにおいては、K-POPと韓国らしさはあまり節合されない傾向が見られた。K-POPの魅力や流行の要因が、伝統文化や韓国人の気質と節合されず、また反対にK-POPの流行を通じて新しい韓国らしさが発見されることもなかった。

 国家の言説ではK-POPは伝統文化と節合され、ナショナル・プライドを高揚させ文化的ナショナル・アイデンティティを再構築するための道具として用いられていたこととは対照的に、コンテンツ制作者の言説の中ではK-POPという音楽ジャンルすら成立し得ない状況であった。

 このようなあり様の原因の1つとして考えられるのは、K-POPがトランスナショナルに生産されているという事実である。K-POPの楽曲やダンスは外国人クリエイターによる制作システムが浸透しているため、システム自体は韓国独自のものであり誇ることができても、コンテンツをナショナル・プライドに接続することができないのではないだろうか。


マイコン/パソコン受容における「制御」と「活用」

― コンピュータのユーザになるための論理 ―

谷口文和(京都精華大学)

【キーワード】アマチュア、趣味、ホビー、音楽、パソコン専門誌

報告要旨

(1)研究の目的

 本報告の目的は、1980年前後の日本において、マイコン(マイクロコンピュータ)およびパソコン(パーソナルコンピュータ)という、当時の新しい技術を受容したユーザが、その技術をどのような仕方で理解していたかを、テクノロジーの使用にまつわる概念の分析を通じて示すことである。

 マイコンおよび初期パソコンのユーザの多くは「ホビイスト」と呼ばれたアマチュアであり、あらかじめ明確な目的を持っていたわけではなかった。そのため、コンピュータで何ができるのか自体が大きな関心事となっていた。この問いは大きく「何をどのように制御できるのか」「何にどのように活用できるのか」の二通りに整理できる。そこで本報告では、「制御」「活用」という二つの概念によって新しい技術がいかに理解可能なものになっていたかを分析する。

 本報告においては特に、マイコン/パソコンの用途の一つとして音楽がさかんに取り上げられていたことに着目する。当時シンセサイザや自動演奏といったかたちでコンピュータと結びつけられた音楽は、単に趣味的領域の一つであることを超えて、電子技術に意味を与える契機となっていた。本報告では、その実践および言説において、ユーザが技術を理解するための論理がどのように成り立っていたかを明らかにする。

(2)先行研究との差異 

 野上元(2005)は、「マイコン」が「マイクロ・コンピュータ」の略であると同時に、「マイ・コンピュータ」すなわちコンピュータを私有することを含意する記号であったことに着目し、マイコンとパソコンの間にある「所有」をめぐる意味の隔たりを分析している。また、鈴木真奈(2022)は、マイコンおよびパソコンのユーザにおける「アマチュア」が趣味の領域に閉じたものではなく、業務上でそれまでコンピュータに触れられなかった者も含んでいたことを、当時の報道や調査記事などをにもとづいて指摘している。

 本報告は、これらの先行研究とおおまかに認識を共有している。しかしながら、コンピュータを扱う実践を通じてユーザが形成されていったことを、その実践自体に関する資料をもとに分析しようとしている点で、先行研究とは異なるアプローチをとっている。コンピュータの受容をめぐる外的要因よりもユーザにとっての内的な論理を重視している点に、本報告の独自性がある。

(3)研究の方法

 マイコンブームの際に立て続けに創刊された専門誌『I/O』(1976年〜)『マイコン』(1977年〜)『Ascii』(1977年〜)の1980年代前半までの誌面を資料とし、その読者層におけるマイコン/パソコンの受容をたどる。これらの雑誌は最新の情報を読者に提供していたのみならず、実験レポートやプログラムの投稿などを通じてユーザが自身の実践を共有する場にもなっていた。つまり、コンピュータとユーザを媒介すると同時に、ユーザ同士の認識も媒介していた。

 ユーザの認識のありようを明らかにするために、ユーザの間でどのような実践があったかを見ていくとともに、キーワードとなる概念同士の結びつき方を分析する。具体的には、ユーザがコンピュータの使い方を語る際に、「制御」と「活用」という概念を用いてどのような論理を構成し、状況の変化とともにその論理をどのように組みなおしていったのかを読み解く。

(4)得られた知見

 マイコンからパソコンへと移行する過程において、ユーザのコンピュータとの向き合い方が変化したことを、以下のように読み取ることができる。

 1970年代末のマイコンブーム当時、特定の用途を持たないままマイコンを手にしたアマチュアの間では、何かを制御すること自体に価値が見出されていた。この頃の誌面では、シンセサイザや自動演奏など音楽関連の記事が多く見られるが、これは制御を実感するための題材として共有しやすかったからだと考えられる。また、音楽的素養を持たないユーザにとっては、コンピュータによる自動演奏は音楽的素養に代わるものとしての価値があった。こうして音楽は制御の対象として掘り下げられていくが、しかしそれとともに音楽は「制御しきれないもの」と認識されるようにもなる。

 一方、コンピュータの活用法もまたマイコンブームの中でたびたび話題となっていたが、取り上げられる事例はあくまでコンピュータが制御する対象として語られていた。しかし、完動品であるパソコンが発売され、分野別のプログラムも整備された1980年代なかばには、コンピュータは各分野において活用すべき資源の一つと位置づけられなおされた。その結果、音楽制作などにコンピュータを用いるやり方は「制御」の論理から切り離され、それと並行して、「制御」自体に価値を置く語りは行き場を失っていった。


新聞社参入によって変遷した将棋のハンディキャップ「駒落ち」の位置づけ

松元一織(立命館大学大学院院生)

【キーワード】将棋、新聞棋戦、ハンディキャップ

報告要旨

(1)研究の目的

 本研究の目的は、将棋界に新聞社が参入したことで将棋のハンディキャップである「駒落ち」がどのように捉えられ変遷してきたのかを明らかにするものである。

 駒落ちのあり方は、江戸時代から厳格に決められるようになり、棋力に差がある場合にハンディキャップなしの「平手」で将棋が対局されることはほとんどなく、駒落ちが主に指されていた。一方、新聞社が将棋界に参入した戦後から現代においては、駒落ちで対局されるのはアマチュア同士などに限定されており、プロの将棋棋士同士の公式対局は、棋力に差がある場合でも、駒落ちではなく、すべて平手で対局されている。 Johan Huizingaが「公認の選手権制度、公開試合、記録の公式登録、独特な文学的スタイルによる新聞記事などによって広く一般に喧伝されて得た人気が、すべての知能の遊びを、チェスにしろ、トランプにしろ、スポーツに含ませてしまうようになった」(Huizinga 1950=1964: 336)というように、将棋界に新聞社が参入したことにより、商業目的主体となり、スポーツ化の一途を辿っていることが考えられるのではないか。

 駒落ち対局から平手対局への移行は何を意味し、将棋の遊び方にどのような影響があったのか、新聞社参入によって変遷した駒落ちの位置づけを考察する。

(2)先行研究との差異

 関連する主な先行研究としては、執行(2020)の昭和期の新聞棋戦事業を対象としたものがある。しかし、執行(2020)はメディアが受け手への戦略をどのように行ったかを明らかにするものであり、あくまでも将棋が対象にされているのは各新聞社の戦略比較が可能であるからという理由にとどまる。新聞棋戦事業は将棋愛好家の増加に繋がり、棋界の発展に貢献したと結論づけられているが、各新聞社の戦略は将棋にどのような影響があったのかという視点からの考察はなされていない。

 さらに、山口(2019)は新聞将棋の歴史を実際の新聞記事から引用し、整理するだけにとどまり、新聞将棋が始まったことで将棋がどのように位置づけられてきたのか、さらに駒落ちから平手に移行したことに関しては触れられていない。

 こうした先行研究のなかで、本研究は、新聞社の参入により将棋界が発展した一方で、駒落ちから平手への移行は何を意味し、将棋の遊び方にどのような影響があったのか、新聞社参入によって変遷した駒落ちの位置づけを考察するものである。

(3)研究の方法

 本研究では、各新聞棋戦において、駒落ちがどのように変遷し位置づけられてきたのかを明らかにする。そのためには、まず新聞棋戦以前の駒落ちの捉えられ方をおさえておく必要がある。新聞棋戦開始以前の駒落ちに関する記述が確認できる歴史的資料をとりあげる。

 次に、新聞棋戦における駒落ちと平手の捉え方や変遷を確認するため、紙面を分析することが必要である。分析には、マイクロフィルムさらにオンラインデータベースを用いることとする。さらに当時の棋士の言及からどのような捉え方がなされてきたかを分析するため、棋士の著書や観戦記を参照する。

(4)得られた知見

 新聞社が参入する以前、相手との力の差を縮めるため、まず平手で対局し、その差に応じて主観的な力の均衡化を実現する駒落ちで対局する流れが歴史的資史料からわかり、駒落ちは力の均衡を実践するものとして位置づけられた。

 その後、昭和期に将棋界は新聞社がスポンサーとなって発展する。将棋界に新聞社が参入し、各新聞社はそれぞれの独自性を掲げる必要性が生じた。その結果、昭和番付編成将棋、名人対八段選抜戦、九段戦、王将戦など、さまざまな実力制の棋戦が登場する。

 これらの新聞棋戦は駒落ちを基本的に排除するものであった。例外的に王将戦における「三番手・指し直し」などのように、駒落ちが採用されたとしても、それは単に話題性を集めるだけの商業的エンターテイメント道具としてであった。

 駒落ちに表象されていた主観的な力の均衡すなわち対等を重視するという認識のあり方から、商業主義や実力至上主義に基づく実力制タイトル戦の出現によって客観的な力の均衡つまり平等を重視するという認識へと変転することとなった。


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