第8回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞の選考および講評

2021.5.15.

選考委員会では、まず本賞の受賞対象作品について、内規にある「マス・コミュニケーションならびにジャーナリズム研究に大きく寄与した作品」を幅広く解釈することを確認した。過去2年間(2019年1月1日から 2020年12月31日まで)に刊行された50歳代までの会員の120作品を対象として、計4回の委員会をオンラインで開催し、慎重な審査を行った。

第2回委員会では、候補作品リストのうち38作品に絞り込みを行った。さらに第3回委員会で9作品中から4作品を最終候補として残し、この4作品を全員で精読した。

第4回委員会において、全員一致で次の作品を受賞候補に選定した。

近藤和都『映画館と観客のメディア論 戦前期日本の「映画を読む/書く」という経験』青弓社、2020年

受賞にふさわしいと選考委員会が判断した理由は、以下の講評に示す通りである。

本書は全8章(序章、終章をふくむ)で構成され、380ページに及ぶ大著である。索引・文献目録等も付されるなど細部にまで著者の目が行き届き、全体としての論理展開も円滑で、研究書として整然としている。

著者の問題意識は「序章 オフ・スクリーンの映像文化」で提示されているが、映像文化・映画研究の抱える困難とそれに対して著者の用意する研究の枠組みが明確に示され、その問題意識と枠組みは本書全体を通じて一貫している。以下、第1章の「映画プログラムの成立-1907‐1910年代前半」からほぼ歴史的順序にしたがって第6章「映画興行をめぐる規格化の論理-1939‐44年」まで、戦前期の映画館と観客の経験を丹念な叙述によって通観している。

本書の最大の特徴であり、かつ研究としての成功をもたらしているのは分析対象として「映画館プログラム」を選択したところにある。各映画館で毎週発行され無料配布されていた映画館プログラムは、これまで「取るに足らない」メディア(著者の言葉では「エフェメラル・メディア」)として扱われるか、どのように研究対象とすべきかが分からないまま放置されてきた。著者は神戸映画資料館、国立近代美術館フィルムセンター、早稲田大学演劇博物館に所蔵されている厖大な映画館プログラムに着目し、それが映画文化の経験のなかで果たしていた役割を考察した。特に、その分析を通して映画文化経験・映像文化経験とは何かを明らかにし、映画研究に新たな展望を拓いている。

「複製技術時代の<映像文化の経験>には二次的なメディアを通じた経験が組み込まれて」いることへの着目は特に鋭い(13ページ)。二次的なメディアとして軽視されていた映画館プログラムについて、それら二次的なメディアがなぜ発行されたのか、それがどのような映像文化の経験をかたちづくっていったのかという視角から分析し、映画館と観客のメディア研究にとって重要資料であることを発見している。

著者は「映像文化の経験」を「映画を観る前・観ている時・観た後」の時制の持続的プロセスとしてとらえ、それぞれの時制で映画館プログラムなど二次的なメディアが映画経験に果たしている機能、<擬制的な映画経験><予期/想起としての映画経験>についても考察している。そして映画館プログラムが映画館それぞれによって作成されていることに注目し、時政学(映画配給という時間的文脈を通じて構造化された映画館の分析)、地政学(映画館の地理的位置、観客数の集中拡散など空間的文脈の分析)という軸上に映画館を置き、さらに「オーディエンスに対する送り手側の「理解」の仕方」(「言説としてのオーディエンス」)を加え、そこに興行実践の現実を示そうとしている。

各章の内容は詳述しないが、序章において組み立てた枠組みに従って各時期における映画経験のあり方の特徴を印象的な概念を使って説明しており、読みごたえがある。終章はこれまでの各章の考察をまとめ、「映画受容のあり方は、複数のメディアが時間的に積層し、その積層を介して<観ること>が編成されていく地層的な構造を持つものとして成り立つのだ」とまとめている。

全体として資料的制約などから難しい研究主題とされてきた映画館と観客のメディア研究に新たな展望を切り開いている。「資料の限定性を積極的に位置づけ直していきたい」という著書の狙いはほぼ成功していると言えるだろう。

ただ、いくつか残された課題をあげておけば、実際に分析の俎上にしている映画館プログラムの数が意外に少なく、それが厖大にあるはずのプログラム全体のなかからどのように選択されているのか、全体のなかでどのような典型性、代表性をもつのかについての説明が乏しい。そのため、論証の実証性を減じている。また映画館・観客の背後にある歴史的事象への理解や資料の読みに不十分と思える箇所も見受けられる。

しかしながら本書は全体として映画館と観客のメディア研究として刺激的であり、新しく優れた作品として高く評価できる。日本マスミュニケーション学会内川芳美記念賞にふさわしいと全員が認めた理由である。

第8回内川芳美記念学会賞選考委員会  

佐藤卓己(委員長)   

有山輝雄        

大石泰彦(青山学院大学)

辻 大介(大阪大学)  

藤田結子(明治大学)  

松田美佐(中央大学)